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青池憲司コラム眼の記憶10

第11回 震災小片雑記・七(110408)
2011.4.9

知人や活動仲間から寄せられた、東日本大震災関連の便りを、(勝手ながら)みなさんにも読んでいただきたい、また、記録にとどめておきたい、というきもちで転載します。

【小片14】

4月3日、いわき市に住む知人からのEメール(抜粋)。知人は市の職員です。

◯ 「(いわき市は)ガソリン事情も悪かったし、ホテルも開いていないし・・・と諸事情あり、市内在住の方のみ対象でボランティアを募集しているのですが、それでも、1000人以上のボランティアさんに登録してもらってます。中学を卒業したばかりの子から定年退職して暇だからいつでも声かけて! なんて人までたくさんの人が参加してくれて、本当に頭がさがる思いです。市外の方で参加してくれる方もいるんですが、宿泊場所と食事・燃料とかは自分のことは自分で何とでもします! と、意欲的にいわき市に入ってきて活動を展開してくれて本当にありがたい限りです。ただ、 突然、いわきに来て『何かやることないの?』『そんなことやりに来たんじゃない』『それはどこにあるの?』『宿泊場所ないの?』など質問攻めで、ただただ手間のかかる人が来たりもしていて、そういう方にはかなりうんざりします。」

「スーパーも開き始めたし、あまり被害の無かった人たちは、普通の生活を送れるようになってきたので、飲食部分のボランティア活動は需要が一時落ち着いた感じです。来週からは被災した住宅の清掃などのボランティア活動を展開します。」

●返信。「列挙された、突然やってきて、『何かやることないの?』以下のボランティア態度はもってのほかですが、阪神大震災の被災地でもこうした手合いに時折でくわしました。

俗に"ボランティア元年"といわれるKOBEでも噴出していた問題です。被災した住民さんならびに被災地行政がもとめる活動と、非被災地からやってくるボランティアの、これをやりたいイメージ(幻想)の齟齬。上記のような低レベルの連中は論外としても、このくいちがいはもっと本質的な問題として、これからかならず起ってくると思います。」

【小片15】

4月7日、東京から仙台へボランティアに行っている知人からのEメール(抜粋)。知人は教員をめざしている若い社会人です。

◯「今日も野蒜に行った。現地に到着すると、自衛隊が遺体を運び出しているところだった。昨日よりも、自衛隊の数が倍近く増えた。隣の家で作業する人が『昨日あたりから集中的に遺体の捜索をしている』と言っていた。今日だけで3体の遺体が運ばれて行くのを見た。」

「今日の活動は、主に瓦礫の撤去だった。地道な作業だけに、『今日はここをきれいにする』というような小さな目標を立てながらやらないと気が遠くなる。瓦礫の撤去は心身ともに重労働だ。誰かの思い出を、他人が捨てていく。はじめは気にしていたがすぐに慣れる。ふいに、写真や手紙が出てくると、あっと思う。でも、また気にしなくなる。すぐそばには、誰かが来ていた。自分の大事にしていた物が見つかるといいなと思った。」

「途中、すぐ隣にある小学校を見に行った。あまりにもひどい状態に、思わず言葉を失ってしまう。泥水でいっぱいのプール。去年の夏は、ここで子どもたちが泳いでいたのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。」

「このメールを打っている時、再び震度6強の地震があった。ここにいるみんな無事です。詳しい報告は後日。ご安心を・・・」

● 返信。「阪神大震災のとき、わたしは地震から10日後にKOBEへ入りましたが、そのとき見た被災地とこんどの被災地は様相がまったくちがいますね。いうまでもないことですが。ボランティアをするあなたの心身をとおして送られてくるレポートのことばが、わたしのなかで被災地の新たな像を結んでいます。うんうん、と頷きながら読んでいます。『今日の活動は、主に瓦礫の撤去だった。地道な作業だけに、(中略)小さな目標を立てながらやらないと気が遠くなる。』とありました。そうですね。被災者とボランティアは置かれた状況がちがいますが、KOBEの住民さんが焼け跡の瓦礫の広がりをまえに呟いたことばを思いだします。『3日後の先は考えまい。きょう一日のこと、あすのこと、せめて明後日のこと、その先のことを思うと気がおかしくなる』こんどの大震災はいまだ発災中であり、この時期のボランティアはなにより『体力勝負』です。どうぞ、わが身もいとうてご活動ください。」

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