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青池憲司コラム眼の記憶10

第9回 震災小片雑記・伍(110403)
2011.4.4

【小片11】

 阪神大震災のときに被災者として救援支援を受けたKOBEの人たちが、発災中の東日本大震災の被災地へ入って、こんどは救援者支援者として活動をはじめている。東日本大震災の被災地には、かつて、ボランティアとしてKOBEにかけつけた人も多く住んでいる。KOBE117と東日本311、16年の歳月をはさんでの再会がある。その一つを、阪神大震災直後から活動をつづけている<たかとり救援基地>(神戸市長田区)発行の『たかとりメールマガジン』から引用する。たかとり救援基地は、わたしたち青池組(野田北部を記録する会)の撮影のベースキャンプでもあった。

 (18日付)「3月11日に起こった大震災。あまりの被害の大きさにまだ成す術がわかりません。それでもたかとりの仲間たちは被災地と心をつなげる作業に取り掛かっております。たかとり救援基地は16年前のあの日からたくさんの方々の支援によってこれまで歩んでくることができました。その方々の中には今回の大地震の被災地からの応援もたくさんありました。ボランティアに来て下さったり、心のこもった物資や支援金で応援をしてくださいました。実はこの16年を迎えたたかとり救援基地にもこの冬多くの支援を下さいました。現在、そのみなさんの安否確認を行っております。連絡がつかない方が大勢ですが幾人かは元気な声を聞かせてもらうことができました。被災地の状況をお知らせください。」

 この問いかけに対して応答があり、それは、1995年の4月と9月にたかとり救援基地でボランティアをした仙台の男性であった。いまは地方自治体の要職にある。『たかとりメールマガジン』から引用する。

 (19日付)「鷹取に行って以来、災害時のボランティアに福島県白河市、新潟県三条市の水害のボランティア、職務命令による中越地震の際の長岡市避難所支援業務など様々な災害時に支援してきましたが、まさか自分自身が災害の真っ只中に遭遇するなどとは、思ってもみませんでした。」「阪神淡路大震災など今までの災害と異なり、ガソリンの供給不足により、また被災地が広大なため、他地域からのボランティアの供給に支障が生じそうです。今、ボランティアなどが一番必要な市町村は、東松島市、全人口の半分以上被災した南三陸町、気仙沼市です。そうは、言うもののなかなかボランティアセンターの立ち上げまで至っていない様子です。立ち上げからの支援が必要だと思われます。」

 そのご、日をおかずに、たかとり救援基地の代表ほかのメンバーが、かつての「たかとり救援基地」のような機能をもつボランティアセンターの立ち上げも視野に入れて、被災地へ入った。(まだ調査段階だが)。こんどの震災が阪神大震災を何層倍も上回る災害であろうとも、わたしたちは、こうした縁、絆、繋がりを根っこにした支援の環を拡げていきたい。

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