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コラム-わが忘れなば

第20回 OKUBOアジアの祭2005
2005.10.23

▲祭りは雨天中止。替わりに室内での河内音頭に
 バンコクから鷹取へかえるまえの寄り道をもうひとつ。東京・大久保へ。このまちで10月10日に、ことしで2回目、前身の「新宿盆ダンス」からは3回目になる「OKUBOアジアの祭」が開かれた。例年同様、音頭(河内と江州)を縦糸に、アジアの芸能、ことしは、韓国サムルノリ、タイ民族舞踊、バリ(インドネシア)民族舞踊を織り込んだプログラムが企画されていた。当日は朝から雨で、本会場の戸山公園スズカケの広場が使えず、やむなく会場をおなじ大久保地区の室内(テアトルアカデミー第3スタジオ)に移して、設定を「音頭を聴く会」としての開催となった。そのため、アジアの3芸能の公演がかなわず、「OKUBOアジアの祭」としてはヤヤ羊頭狗肉の感ありで、実行委員のひとりとしてはひじょうに残念であった。

 大久保通りをJR新大久保駅から明治通り近くまで踊り歩く、新大久保商店街まつりに協賛した河内音頭のパレードも雨のため中止となった。皮肉なことにその時間帯だけ雨が止み、アメヨフレ!とおもわずくちばしった。ゲンキンなものである。ストリートを音頭を踊りながらパレードする、略称オン・パレは、おそらく、大久保が嚆矢とはいわないが、どこにでもあるものではないだろう、と自負していただけに、これもまたきわめて残念。昨年の大久保通りオン・パレは流麗にして華麗かつ綺麗な群舞であった。(記録ヴィデオ『音頭がまちにやってきた』を参照あれ)。群舞ではあるが画一的ではなく、群れのなかで踊り子たちはそれぞれに個性的な踊りをおどっていた。集団の一体感と個人の気まま感。秩序と逸脱。調和と奔放。

▲音頭バトルで華麗に舞った

 「音頭を聴く会」は、午後3時からはじまり、アンコールをふくめ6時30分まで。聴く会おのずと踊る会となり、ノンストップの熱唱好演傾聴巧踊で3時間半はオン・バト(音頭バトル)と化した。オン・バトは演者同士のみならず、踊り子の間にもあって、わたしにはそれが興味深かった。踊りの輪のなかに、キレ鋭く、躍るようにおどる3人の若い衆がいた。ややFatで髪ポニー・テール、紫色の絞りTシャツで橙野球帽、代赭色の絞りTシャツで黒野球帽、共通するのは白い首タオル、大阪からやってきたときいた3人である。音頭の踊りに不詳のわたしにもこの3人の踊りは、その手差し足捌き身のこなし、いずれをとっても特異なアクションと見えた。この日の会場には踊り巧者がひしめいていたが、わたしの目を惹いたのはこの異能3人組であった。

 耳と身体で音頭を聴きながら、眼は踊りの輪を追いかける。そうしていると、わたしに見えてきたのは、踊り子同士の関係性である。関係性というと話がかたくるしくなるが、駆け引きというか、間の取り方というか、おたがいの心理的な位置の取り方というか、まあ、そういったものが見えてきたのである。踊り子たちは自分の流儀で得手勝手におどっているように見えながら(多くの人たちはそうであろうしそれでよいのだが)、巧者にもなると、それではあきたらず、輪のなかにライバルを見つけだしてバトルを仕掛けていく。自らの踊りのスタイルを誇示し、どうだといわんばかりに迫り競いあげる。仕掛けられたほうも見過ごしはしない。挑発を受けてたち、おのれの技量(器量)で切り返していく。いずれおとらぬ手練れたちの技の応酬である。全体はなごやかな踊りの輪のなかで、そこでは火花が散っていた。そんな光景が見られて、わたしは興奮した。

 もうひとつの印象的なシーン。女性の踊り子が先述した大阪3人組のひとり、代赭色の絞りTシャツで黒野球帽の特異な踊りを学びとらんものと、すぐうしろについて、かれのスタイルを執拗に倣っていた。代赭色の絞りTシャツで黒野球帽は、おれの流儀をパクれるものならパクってみな、といわんばかりに悠然と踊りゆく。女性はそのうしろから眼をぴたりとポニー・テールの振りに据えて習いとろうとするのだが、そこはそれ、おいそれとうまくいくわけもない。しかし、ひたむきである、おそろしいまでにひたむきである。前段にかいたバトルを野試合とするなら、こちらは道場稽古の趣だが、わたしはこの場面にも感動した。


<関係リンク>
  • OKUBOアジアの祭
  • 第5回 音頭がまちにやってきた [2005.04.3]

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