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コラム
わが忘れなば 青池憲司

第5回 音頭がまちにやってきた
2005.4.3

 昨年の10月11日に、新宿・大久保地区で開いた催し「OKUBOアジアの祭」のDV映像を編集して、『OKUBOアジアの祭2004/音頭がまちにやってきた』という一篇にした。祭があってから5か月後、なんとも悠長なことだが、それにはそれなりの訳があってけっして怠けていたわけではない。その理由はまさに、わが忘れなばたれか知るらん、であるが、映像がまとまったのを機に、この祭の遅れたレポートなどをすこしかいておきたい。

河内音頭

 昨年の「OKUBOアジアの祭」は、ことしも企画している同名の祭のいわば宵祭のような位置づけで行なわれ、さらにその宵々祭として03年の「新宿盆ダンス」があった。もとはといえば、大久保地元住民に河内音頭狂いがいて、かの有名な錦糸町の河内音頭大会に通うことを毎夏の例としていたのだが、それにあきたらず、ついに、my town OKUBOに本場河内から音頭取りを呼んで、自分たちのコミュニティ祭をつくろうと企てたのである。

河内音頭

 この企てのいいだしっぺがあらばきのおばちゃんこと関根美子さんで、この指とまれにとまったひとりにわたしがいて、踊れ新宿21(河内音頭フリークス)の面々、韓人会、共住懇のメンバーやらが、乗ったり乗せたりで、03年は終った。04年は、やはり、上記個人グループ団体を中心に、新大久保商店会や明治通りの明和会、地元日本語学校の協力をえて、実行委員会形式でプロジェクトを立ち上げ、名称を「OKUBOアジアの祭」とした。

河内音頭

 第1部の大久保通りパレードは、商店会の「大久保祭り」に協賛するかたちで行なわれた。トラック荷台に、河内音頭つかさ会の面々と音響スタック、マイク・アンプ・スピーカー・調整卓など機材を載せて演奏スペースとした。トラックと音頭の踊り手は、大久保通りの新大久保駅前のガードから明治通りに向けて約500mを、悠々と踊りながら、ときに、停車したトラックを櫓に見たてて踊りの環をつくったりしながらまちを行進した。

 第2部は会場を戸山公園すずかけの広場に移して、夕刻から夜にかけて行なわれた。ここでは、河内音頭のほかに、韓国芸能プンムル、ミャンマー芸能「水かけ祭りの踊り」が披露され、参加者がいっしょになって踊った。祭の多彩さは、出し物だけでなく参加者にもあり、日本人アジア人欧米人が同じ環をつくった。ことしは小さな試みであったが意図は通った。祭の最後に、実行委員長あらばきのおばちゃんが「来年もやろうね」と叫んだ。

河内音頭

 だから、ことしもやることになった、「OKUBOアジアの祭」。おばちゃんがいえばきまりである。だから、DV映像『OKUBOアジアの祭2004/音頭がまちにやってきた』は、ことしの本祭へ向けての、いわばプロモーション・ヴィデオとして使用される。


<関係リンク>
  • 2004.9.29-コラム「眼の記憶」第22回:OKUBOアジアの祭
  • OKUBO アジアの祭

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