【99年1月〜4月】
4周年。あの日をふりかえる住民。受皿住宅が完成し借家人が戻る。協議会は「コミュ二ティ宣言」を発し、震災復興から普遍的なまちづくりを目指す。
「第13部」は1999年1月から4月までをまとめてあります。
1月17日─震災4周年。撮。野田北部では例年どおりに鎮魂のローソクを灯し黙祷。簡素だが心こもるあの日を偲ぶ朝。まちづくり協議会の若手メンバー大坪義一さんに地震の日の行動を詳細に訊く。撮。18日─撮影まちめぐり。美装化が終った2本の細街路。建設中の被災者用公営住宅など。2月11日─記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第11部、地元お披露目上映。3月21日─被災者用公営住宅竣工式。撮。地権者・まちづくり協議会・行政・コンサルタント、四者の協働の賜なり。関係者それぞれの歓びの顔。住宅は地権者によって「エヴァタウン海運」と名付けられた。同日、大国公園をメイン会場に「コミュニティ祭」が開かれ、野田北部まちづくり協議会は「コミュニティ宣言」を発した。趣旨は「震災から4年余、いまだ復興途上ではあるが一旦区切りをつけて、その活動を非常時から日常のまちづくりへ移行発展させていこう」というもの。復興隊の「夢光る街を」が披露された。会場には多くの関係者が集ったが住民の参加が思いのほか少なかった。雨故か。22日─春なのに今冬一番の寒さ。撮影まちめぐり。野田北部・鷹取の全域。〜23日。4月3日─エヴァタウン海運に入居したばかりの福田道夫さん美智子さんを訪ね撮影。妙法寺川の桜を撮る。この日をもって、記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』の撮影、全終了。
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