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青池憲司コラム眼の記憶09

第5回 往還 〜KOBE・南木曽・世田谷〜(4)
2009.3.04
写真1 たかとり教会聖堂
写真2 同・祭壇

 1月30日朝、長野県木曽郡南木曽町へ向かった。南木曽中学校で「阪神大震災特別授業」をするためである。東海道新幹線と名古屋で乗り継いだ中央本線の車中で思い起こしていたのは、阪神大震災の年の初秋のことである。震災直後から精力的に被災者の支援活動をつづけていた鷹取救援基地(現・たかとりコミュニティセンター)に、その日(たしか9月30日)、南木曽町から救援物資の材木が到着した。事前の打合せで承知していたとはいえ、その量を見て、救援基地の一同はおどろいた。なんと、10トン・トラック10台に材木が満載されていたのである。山の人(南木曽の人)たちはコンヴォイ(輸送隊)を組んでやってきた。当時はまだ一面の更地だった野田北部・鷹取地域の人びとにとって、それはたのもしい援軍の到来と映ったであろう。

 南木曽のみなさんは、阪神大震災の被害報道に接して、「わたしたちに何ができるか?」と自問し、「わたしたちの町には木があるじゃないか、これを役立ててもらおう」と考えたという。そうして運ばれた南木曽の「木」は、鷹取救援基地のボランティアの手でさまざまな用途につかわれた。鷹取商店街の仮設店舗の部材となり、また、そのころ被災地に建てられた仮設住宅に住む人たちの生活用品となった。それは、車椅子用のスロープ、手すり、腰掛け、浴槽をまたぐための踏み台、ちょっとしたもの掛け、など、高齢者や障害者が必要とする用具が多かった。仮設住宅という容れ物にはそこまでの配慮(設備)はなかったのである。鷹取救援基地では、以前からそれらのモノづくりをしていたが、南木曽からの「木」でその活動がさらにひろがった。

 これをはじまりとして、南木曽と野田北部・鷹取の交流は、こんにちまで、途切れることなくつづいている。こちらの地域の人たちと基地のボランティアが南木曽町に招待されて、復興の報告会をもったことがある。わたしも同行して、野田北部まちづくり協議会会長の浅山三郎さんや、鷹取救援基地代表で神父の神田裕さんらとともに、かんたんな映像報告をした。わたしたち一同は、山の人たちの心づくしのもてなしを受けた。懇親会の酒席も大いに盛り上がり、天然温泉で日ごろの疲れを癒した。時は下って、2007年5月に新築完成したカトリックたかとり教会にも南木曽の木材はつかわれている。聖堂に設けられた祭壇(写真1、2)、これは樹齢350年の檜と聞いた。脇の小聖堂も南木曽の木でつくられている(写真3)し、学習会や訪問者の宿泊用など多目的につかわれる和室は「南木曽の間」と名付けられている。神田神父はこれを、南木曽と被災地の交友(人のつながり)の証し、という。

写真3 同・小聖堂
写真4 南木曽の松瀬博敏さん(左)と
野田北部の浅山三郎さん

 07年5月26日、新しいたかとり教会の竣工式の日、南木曽から松瀬博敏さんをはじめ大勢さんが来鷹した(写真4)。そのときも、山の人たちはたくさんのお土産を持ってきてくれて、そのひとつに木曽銘酒の四斗樽があった。この振舞酒をいただきながら、わたしと南木曽のみなさんは、「震災直後の被災地の様子や、南木曽の木が果たした役割、その後の南木曽と鷹取の交流のことなどを、若い世代につたえる催しをしたいですね」という話をして、意気投合した。それから、南木曽の住民さん、町・教育・商工など多くの関係者のみなさんのご尽力があって、今回の南木曽中学校での「阪神大震災特別授業」が実現したのである。そういう経緯があったので、わたしは相当緊張してJR南木曽駅を降りた。するとそこには、松瀬さんや丸野晃さんら、なつかしい顔がにこやかに出迎えてくれていた。

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