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青池憲司コラム眼の記憶09

第12回 KOBE〜中越、そして(2)
2009.6.25

 霞が関で深澤良信さんのインタヴューを終え、わたしはKOBEヘと向かった。KOBEでは、ハリケーン<カトリーナ>(2005年8月)の被災地ニューオーリンズと当地のJazz交流について、「神戸とニューオーリンズのジャズ交流実行委員会」委員長の池田寔彦さん、事務局長の日下雄介さん、事務局の太田敏一さんの3人にお会いした。池田さんは、神戸市灘区琵琶町の「琵琶町復興住民協議会」の会長であり、ディキシーランド・ジャズ・バンド「ザ・ビッグ・ディッパーズ」でチューバを吹いているジャズマンである。日下さんは、元高校教師で、「日本学校ジャズ教育協会関西本部」の事務局長でもある。太田さんは、神戸市の要職にある。以下の記述は、3氏へのインタヴューと資料を抜粋してまとめた。

 そのまえに、ハリケーン<カトリーナ>の威力と被害についてかんたんに。カトリーナは、最大風速約80m(最大瞬間風速約90m)、最低気圧902hpa(上陸時920hpa)の超弩級ハリケーンで、その被害はルイジアナ州を中心とした広い地域に及び、死者1836人、行方不明705人という大きなものだった。とくにニューオーリンズ市は川や湖よりも地盤が低く、別名「スープ皿」とよばれている地形であり、ポンプの不作動や堤防の決壊により、市内の8割が浸水した。

◯ カトリーナによる被災直後から、KOBEの復興にかかわってきた研究者などがニューオーリンズへ支援に駆けつけ、現地との交流を重ねた。その過程で、「復興の交流だけにとどまらず、ニューオーリンズと神戸の共通の伝統的文化であるジャズの交流も重要であるし、復興にも寄与できるのではないか」の声が上がった。

◯ 2008年3月に、わたし(太田)が市職員として、調査団に同行してニューオーリンズへ。復興状況を視察し、地元指導者、市会議員らと意見交換。実質的な「ジャズ発祥のまち」どうしのジャズ交流のスタート。同4月、「神戸とニューオーリンズのジャズ交流実行委員会」(神戸側)結成。実行委員会にはジャズ好きと復興まちづくりのメンバーが集った、それがユニーク。

◯ ニューオーリンズ側のカウンターパートは、「ニューオーリンズ・センター・フォー・クリエーティブアーツ」(NOCCA)といい、中高生を対象にしたニューオーリンズの音楽と芸術を教えるルイジアナ州立専門学校。

 こうしてジャズ交流イベントはスタートし、同年10月、神戸市内で開かれた第2回「ネクスト・ジャズ・コンペティション」(30歳までのアマチュア・ジャズ・ミュージシャンの登竜門)会場でのKOBEとニューオーリンズの若手プレーヤーの演奏が実現した。そして、コンペティションの優勝者にはニューオーリンズ市からの特別賞「ルイ・アームストロング賞」が贈られた。そのご、長田区野田北部の「たかとり教会」でも日米プレーヤーの共演があり、ニューオーリンズ出身のサリバン・フォートナーさん(ピアノ)、マーティン・マサカウスキさん(ベース)と日本人ジャズ奏者(浅井良将さん=アルトサックス、定岡弘将さん=ドラムス)のカルテットが、浅井さん作曲の「Friendship〜神戸からニューオーリンズへ」を演奏した。

 ジャズ交流事業は、このほかに. 灘区六甲道地区で復興まちづくりに関するパネル・ディスカッションを行い、同行したサリー・ペリーNOCCA会長やヴィエン・テ・グエン神父(ニューオーリンズのカトリック教会のヴェトナム人神父)、ジャズ奏者のフォートナーさん、マサカウスキさんが、地元まちづくりのリーダーの池田さんや佐藤厚子さん(六甲北地区まちづくり協議会公園管理会長)、林春男京大教授、立木茂雄同志社大教授らと経験を語り合った。

  パネル・ディスカッション「神戸とニューオーリンズの復興経験の交流」発言抄。太田敏一さん執筆の「神戸とニューオリンズのジャズ交流〜大災害からの復興における文化の役割〜」から引用させていただきました。文責引用者。

佐藤「区画整理で、現在、公園になっている1ヘクタールの土地は震災で焼野原になってしまった所。公園づくりは住民の手で進められた。住民が公園の基本設計をすることはめずらしく、勉強や見学、ワークショップを120回も行った。こうして作成した設計プランを市はそのまま了解し、住民の公園がうまれた。大きな公園を住民だけで世話をするのはたいへんだが、まちをつくったみんなの力でいまも行っている。重要なのは区画整理が終っても、『まちを育てつづける』ことである」

グエン「わたしたちの地域のまちづくり協議会は宗教的なつながりでできているが、神戸 の協議会の方が進んでいる。次のために災害に強いまちをつくっていきたいが、その必要性を考えない人も多い。被害を覚えておこう、そして前へ進もう」

林「神戸の住民の4分の1が震災で入れ替わった。13年まえに起こった出来事を覚えている人はもう小学生にはいない。人が変るなかで、どうやって体験をつなげていくか」

ペリー「自分たちを守ってくれると行政がいっていたはずの堤防は、カトリーナからは守ってくれなかった。今度こそは守ってくれるものをつくっていると思いながら修復 を見守っている」

マサコウスキ「日本人がコミュニティを大事にしていると感じた。みんなでまちをつくろうとしていることにとてもおどろいた」

ペリー「ジャズは一人では演奏できない。チームやアンサンブルでやらなければならない。ジャズは真の民主主義といわれる」

立木「神戸とニューオーリンズはなぜ交流するのか。それは、それぞれに違った根っこを もつ二つの都市同士が、おたがいの文化を尊重し、異なったところを超えてつながれると、そこに、もうひとつの文化が生まれるからだ」

 ともに被災地であり、港町、ジャズという共通点をもつKOBEとニューオーリンズの住民、専門家、行政関係者の交流は今後もつづいていくであろう。太田さんと、今回訪神したニューオーリンズの人たちの間でこんなやりとりがあったという。

訪神者「ニューオーリンズでは災害を忘れたがっている。KOBEでは14年たってもいまだに地震を語っている。それは、忘れたがっているニューオーリンズ住民への励みである。でも、なぜ、かれらは語りつづけるのか?」

太田「14年間も語っている人がいること。あの日の被災と復興の日々を語りつづけること。それがKOBEの文化になりつつある」

 災害後の復興活動はそれ自体が一つの文化である、とわたしは印象づけられた。

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