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眼の記憶08

第5回 団扇太鼓と軍艦
2008.2.29

 2月19日未明に起きた、海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故から、けさ(29日)でまる10日が過ぎました。その間、わたしが注視傾聴してきたのは、吉清治夫さん・哲大さん父子の家族と親族、そして、かれらの漁師仲間の言動でした。もちろん、衝突事故前後の状況報道や、そのごの海上自衛隊および防衛省のうごきにも逐一耳目を凝らしてきたことはいうまでもありません。注目度の第1が前者で第2が後者というのではなく、また、逆でもない、わたしにとってこのふたつは同列の関心事なのです。

 「ミサイルを瞬時に落とすような近代的な船なのに、なぜこんな小さな漁船を見つけられなかったのか。自衛隊はたるんでいるのではないか、ということも訴えたい」。19日夜のTVニュースで事故を知ったわたしに、最初に届いた漁師仲間の声は、新勝浦市漁業協同組合の外記栄太郎組合長のこんなコメントでした。事故直後から、行方不明の吉清さん父子の捜索をしていた地元の漁船(新勝浦市漁協と近隣の漁協に所属する85隻)の船長の何人かも、記者会見で、「イージス艦は衝突を回避できたはず」「見張りが不十分だったのではないか」と話して、その表情とことばがひじょうに印象的でした。

 TVのニュース映像を見ていて、さらに心に残ったのは、地元川津漁港の岸壁に集り、海に向って、団扇太鼓を打ちながら読経する女性たちの姿でした。これは、行方不明者が無事にかえってくるように祈る、「御法楽」という伝統儀式だそうですが、その情景にわたしは打たれました。吉清さんの家族が住む勝浦市川津地区(戸数約300)の、年配の婦人たちを中心とした祈りの姿から、わたしは目をはなせませんでした。ニュースの映像はながれて十数秒で切り替わってしまいますが、瞼の内にはりついた映像はいつまでも切り替わりません。

 人びと(吉清さんの家族、親族、仲間の漁師たちと婦人たち)が、衝突事故後に発したことばや祈りの声からは、事故を引き起こした者たち(国家)へのしずかなゆるぎない憤り(異議申し立てのメッセージ)が聴こえてきます。そして、かれらのそのような行動を支えているのは、漁師同士の連帯(仲間意識)もさることながら、コミュニティの力である、とわたしは考えます。この10日間、TVの画面や新聞紙面を見ながら、わたしは、つぎつぎに露呈されてくる事故時の状況と事故後の防衛省の対応に、あらためて、国家の素顔とわたしたちが置かれている本質に思いをいたさざるをえませんでした。

 イージス艦が小さな漁船を蹴散らせて行った、国が人の命をないがしろにしている、というのがこの事故にたいする世間一般の見方です。平時にあって自衛隊のこの暴挙です。非常時にあの法律、「国民保護法」(2004目6月14日に成立)が発動されたら、どのような事態が引き起こされるでしょうか。「国民保護法」がたちどころに「国家保護法」に変貌することは火を見るより明らかです。

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