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眼の記憶08

第13回 まぼろし神戸
2008.6.23

 さいきん――日活アクション映画興隆期の傑作といわれる『赤い波止場』をNHK-BS2で観ました。初見です。製作と封切は1958年(昭33)で、アジア太平洋戦争の敗戦からまだ13年しか経っていない「港町神戸」を舞台にした映画です。その映画を、製作封切から50年後の、阪神大震災から13年を経た2008年(平成20)のいまに観たのです。わたしにとって50年まえの神戸は、もちろんはじめて見る神戸です。たぶん、野田北部のせっちゃん(河合節二・野田北部まちづくり協議会事務局長)もはじめて見る風景でしょう(まだ生まれていなかったか、生まれてまもなくのころの神戸です)。映画に埠頭近くでちょろちょろしているこどもが出てきますが、年恰好からして、これはひろっちゃん(林博司・野田北ふるさとネット本部長)でしょうか。

 『赤い波止場』は、ご存知のように、石原裕次郎、北原三枝の主演。助演陣に、大坂志郎、二谷英明、土方弘(この人、こんなにシャレた役づくりができる役者だったんだ)、中原早苗、轟夕起子、岡田真澄、柳沢真一。企画・水の江滝子、監督・舛田利雄、脚本・池田一朗(のちの隆慶一郎)と舛田の共作、撮影・姫田真佐久、照明・岩木保夫、美術・木村威夫、音楽・鏑木創、編集・辻井正則。スタッフ、キャストの名前を見ただけで、ワクワクします。ところが、わたしは封切時にこの映画を観ていないのです。なぜだろうか。と自問したところで、わがことであっても、50年まえの事情はすでにオボロであります。わたしは、川島雄三の監督した『幕末太陽伝』(57年)や井上梅次の監督した『鷲と鷹』(同)、蔵原惟繕の監督した『俺は待ってるぜ』(同)などで日活映画に目覚め、そのごは、高校2年だった58年以降60年代半ばまで、ほぼすべての日活作品をオンタイムで観ています。だから、どうして、舛田・裕次郎コンビの『赤い波止場』を観ていないのか、不思議です。しかし、まあ、そんなことはどうでもいい。

 映画は、日活株式会社のクレディット・タイトルのあと、海から神戸港へ入っていくキャメラの主観移動ではじまります。大型貨物船や港内を行き交う艀(はしけ)の間を縫っていく印象的な光景が、シネマスコープ(日活スコープ)、モノクロームの画面に展開します。キャメラはなおも移動しつつパンすると、神戸のまち(後景に摩耶と六甲の山並)がロングショットで見えてきます。この導入は、港町を舞台にした日活アクション映画の定石ですが、さあ、はじまるぞ、と観客の期待感を高める快調な出だしです。白をとばしたハイ・キーなモノクロ画面のなかに戦災復興13年の神戸の夏があらわれます。しかし、この映画の神戸のまちは、作者たちによって、どこか無国籍風で気怠くエキゾチックなまちとしてとらえられています。

 それは、裕次郎扮する主人公“レフト(左利き)の二郎”の心象風景としてのまちであって、現実の神戸のまちとはちがうようです。人を殺して東京から逃げてきた二郎は、にもかかわらず、このまちをわがもの顔にのし歩いています。だが、所詮、かくまわれているヤクザ社会のシマ(縄張り)内での自由(わがもの顔)でしかありません。シマの外の世界と繋がろうとしたとき(カタギのお嬢さん、北原三枝に惚れた)、その道行きのむこうには市民社会への帰順が準備されています。眼前に開放・解放的な海があるものの、二郎はついにそれを手に入れることはできません。アジールのように思えた陸(おか)のシマ内でも、二郎の自由は組織の都合であっさり失効します。このとき、ハイ・キーな画調で撮られていた二郎のまちは消滅し、刑事に手錠をかけられ連行されていく姿を俯瞰めにとらえた、ロウ・キーな画調の夜の場面で映画は終ります。

 50年遅れの観客であるわたしにとって、『赤い波止場』は、神戸の幻を見た映画です。

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