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コラム「Circuit 06」青池憲司

第16回 モンゴル映画(1)
2006.6.22

 チンギス・ハーンがモンゴル帝国を創建して800年になるという。それにちなんで、ことしは、「大モンゴル建国800周年記念・日本におけるモンゴル年」と位置づけられている。さまざまな催しがあるようだが、その一環として、「モンゴル演劇・映画の今―歴史と未来を見据えながら―」というモンゴルの演劇と映画の研究講座が開かれた。主催・早稲田大学演劇博物館、早稲田大学モンゴル研究所、日本モンゴル協会。会場・早稲田大学国際会議場井深大記念ホール。6月20日〜21日。

 わたしは、第2部の「モンゴル映画講座」に出席した。1936年製作のモンゴル初の劇映画が興味の的だった。映画に先立って、モンゴル映画撮影所長・モンゴル映画芸術大学学長・映画監督の肩書をもつジャンビン・ソロンゴ氏の「モンゴル映画の歩み」と題する講演があった。それによると――モンゴルに映画が入ったのは1911年、まだ王制時代のことである。時の国王が新しもの好きで、貴族たちと輸入映画の観賞会をさかんに開いた、という。いうまでもなく、映画はまだ庶民大衆には無縁のモノであった。

 1921年、人民革命が成功したモンゴルは、世界で2番目の社会主義国(モンゴル人民共和国)となり、映画は党の思想宣伝や政府のプロパガンダとして上映されるようになる。といっても映画館はまだなく、全国各地での巡回上映であった。上映された作品はソヴィエト製作の人民教育映画である。1928年にモスクワへの映画留学やソヴィエトから専門家を招いての映画人養成がはじまり、1935年にはついに撮影所が設立された。このころから庶民大衆の映画にたいする関心も高まり、同年、首都ウランバートルに映画館が開館した。その名を「人民」という。

 1936年、モンゴル初の劇映画、いや、ジャンルにかかわりなく、モンゴル初の映画『モンゴルの子』(84分)が製作され(とモンゴル映画史はいう)、「人民」映画館で上映された。モンゴル人民革命15周年記念のこの映画は、しかし、厳密には、ソヴィエト主導のもとにつくられた合作映画というべきであろう。製作はレン・フィルム(ソ連)。監督のI・Z・トラウベルグをはじめとして、脚本、撮影などのスタッフはすべてソヴィエト連邦映画人である。そして。出演者がすべてモンゴル人である。モンゴル映画史では、モンゴル初の映画とされるこの作品は、こうしたかたちの共同製作モンゴル映画であった。

 1940年代から50年代にかけては映画の製作が本格化し、ソ連映画と軌を一にした社会主義リアリズムの映画が多くつくられた。それは、やはり、ソ連邦とおなじく党や国家の検閲を受けての映画づくりであった。60年代に入ると、歴史映画、革命映画、若者むけに社会主義のモラルを説いた映画が主流となった。国は映画製作に力を入れ、文化予算のほぼ半分が投入された。60年代から92年までの約30年間に長編劇映画が260本以上、文化・記録映画が1000本以上製作され、映画館も100館以上になった。――このように、ソロンゴ氏のモンゴル映画史講義はつづいていくのだが、おあとは次回に。(つづく)

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