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コラム「Circuit 06」青池憲司

第49回 多文化な一夜
2007.12.23

 このコラムでも何回か取り上げたことのあるAPFS(Asian Peopleユs Friendship Society)は、日本に住む外国籍住民と日本人とが隣人としてともに生き、助け合うことを目的に活動している市民グループです。そのAPFSが12月20日で設立20周年を迎えました。記念のパーティが16日にあり、わたしも出席しました。20年の歴史を映像とダンスで振り返るパフォーマンスがあり、「在留特別許可を取得して―子どもたちによるパネルトーク―」と題するディスカッションがあり、もちろん、歌舞音曲あり、おいしいお国料理ありのたのしい会でした。(APFSの活動についてはWebサイト http://www.jca.apc.org/apfs/ をご覧ください)。
 
 会場には、さまざまな声(ことば)と旋律(音楽)が終始きこえていて、まさに多文化な一夜でしたが、なかでも、わたしの印象に残ったのは、「在留特別許可を取得して―子どもたちによるパネルトーク―」に登場した4人の若者たちでした(フィリピン人2人、中国人2人)。彼と彼女らはいま10代〜20代ですが、4人が来日したのはまだこども、幼児のころだったのです。オーバーステイになり、家族のおかれた環境はそれぞれに異なりますが、親といっしょに在留特別許可をたたかいとってきた、という一点では共通していると思います。在留特別許可をたたかいとってきた、と書きましたが、これだってもちろん一様ではなく、各人個別の喜怒哀楽の日々があったわけです。短い時間のなかで4人が語ったことばを断片ですが紹介します。

 ヴィザ取得前。
K・Kさん(中国人)「こどもなりにうしろめたかった。毎日、圧迫感があった」。彼女は9歳で来日し、ほぼ10年後にヴィザを取得すべく家族全員で入管へ出頭。さらに数年後に在留特別許可をえた。現在、看護師をしている。
K・Hさん(中国人)「(オーバーステイであることを)友だちにいえなくてウソもついた」。彼女は6歳で来日し、高校3年のとき入管へ収監された経験をもつ。現在、法律の勉強をしている。
K・Cさん(フィリピン人)「(ぼくの場合は)ひとりで抱えきれなくて友だちに話した。ひとりではマイナス思考になっていくばかりだった。友だちはわかってくれた」。彼は日本生まれで、現在、高校1年生、部活の野球部で活躍している。
A・Dさん(フィリピン人)「わたしはずっと、日本にいるのがあたりまえだと思っていた」。彼女は4歳で来日した。中学生のときオーバーステイに気づく。

 ヴィザ取得後。そして自分の将来像(夢)。
K・Kさん「自分がいたい場所にいられることの素晴らしさを実感した」。「中国人の看護師として日本社会で仕事をし、偏見をなくしたい」。
K・Hさん「(オーバーステイであっても)ヴィザを取る行動は正しいことだから、いまヴィザがない人でも暗く考えないでほしい」。「弁護士になって、在日外国人に関わる問題や、オーバーステイの人たちを支援する活動をしたい」。
K・Cさん「ひとりでは何もできないが、家族全員、支援してくれる人と力を合わせることのたいせつさを知った」。「部活でやっている野球をつづけプロ選手になりたい」。
A・Dさん「行動すれば世界は変わります」。「自分の会社を持ちたい」。

 ヤンガージェネレーションの、こんな発言を聴いていて、わたしは、おなじ日本列島社会の一員として、たのもしくも誇らしい思いにつつまれていました。もう一つ報告しておきたいのは、参加したみんなが話していたことですが、ヴィザ取得をめざしている(してきた)家族にとって、APFSの存在、そして、おなじ状況にある者同士がともにする運動のたいせつさです。「自分ひとりでは何もできない」がレツを組んで「行動すれば世界は変わります」というメッセージを、わたしは彼らからあらためてたしかに受け取りました。移住労働者の第二世代が育ち、この列島に根を下ろしつつあります。

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