【96年7月〜10月】
区画整理が進行し住民の宅地を決める仮換地指定。安堵と不安。土地は戻ったが家は建つのか、暮しは? まちは変化し、鷹取救援基地も転機を迎える。
「第8部」は1996年7月から10月までをまとめてあります。
7月8日─記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第3部、地元お披露目上映会。23日─猛暑のまちを撮る。野田北部地区3町鷹取東地区2町。更地が広がるまちに小屋掛けのたこ焼きやさん、かき氷もやっている。こどもたちに混じってスタッフも食す。27日─「まるごとアジア自由市場」開かれる。撮。在日アジア人が多い長田区にアジアタウンを作ろうという構想のプレイベント。アジアの食・物産・歌が会場に溢れてアジア的空間が出現。震災後に顕著になった外国人との共生の志の一つ。8月─殆ど長い夏休み。30日─海運町2の仮換地指定通知。撮。都市計画局職員が地権者一人ひとりに敷地の形状を説明して通知書を渡し地権者がそれを確認する作業。「1cmでもちごうとったら判おさんぞ」「やっと家が建てられるようになったがお金がねえ」の声あり。9月13日─鷹取東区画整理事業工事開始。風雨激しきなか海運町3の区画道路杭打式。撮。まちづくりの新展開。佐藤研究室を中心とする早大学生たちが、野田北部地区の復興活動に携った1年の報告と将来へのまちづくり提案をする。撮。20日─記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第4部、地元お披露目上映会。10月─この月、野田北部地区の「まちなみ誘導型地区計画」が各町丁で検討される。22日─鷹取救援基地の機構改革のため震災後に急造された建物の取壊し始る。撮。
|