【96年1月〜3月】
震災1周年の日の全容。区画整理の一時凍結で地域は混乱し、住民の困難さらにます。協議会の仮設住宅訪問。修学旅行高校生の被災地見学。(67分)
「第6部」は1996年1月から3月までをまとめてあります。
1月17日─震災1周年。撮。未明の大国公園に地域の人たちが集っている。5時46分黙祷。「1年前のいまごろは地獄でした」と久米茂子さん。鷹取教会(救援基地)では追悼ミサ。更地のそこここで祈る人の姿がある。「ことしの新年はきょうから始る」と浅山三郎まちづくり協議会会長。29日─鷹取東まちづくり協議会(野田北部の海運町2・3を含む)が行政の対応に抗議して、区画整理事業の「一時凍結」を宣言。土地の減歩率の交渉が最大の難関なり。住民内部は行政に対しての強硬対決派と柔軟対応派に割れた。2月4日─区画整理地区にある海運町2・3の「凍結」是非について集会。撮。ここは凍結解除意見が多数。13日─野田北部住民の仮設住宅「友愛訪問」。撮。いま仮設に住む地域の人たちを見舞うもの。以後、定期的に行われる。15日─東京から修学旅行の高校生が訪れる。撮。「神戸はまだ片手片足を失って傷だらけで点滴を受けている病人のようなものだ」と基地の和田耕一さんが話す。高校生の顔色が変る。21日─鷹取東まちづくり協議会の集会。撮。凍結問題での住民の意見対立はつづいている。25日─建築よろず相談会。撮。家屋再建したくもWローンの住民多し。銀行の反応は鈍く苦悩の色ふかし。3月5日─鷹取東の役員会開かれるも混迷あるのみ。21日─記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第2部、地元お披露目上映会。
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