【95年9月〜12月】
まちは落ち着いたかに見えたが、家屋の違法新築が目につく。震災に新しくうまれたものは何か? 小学生と救援基地の神田さんが話す。正月の餅をつく。(60分)
「第5部」は1995年9月から12月までをまとめてあります。
9月14日─海運町2・3の区画整理勉強会。撮。野田北部の住民はよく学習する。これが地域力の基なり。15日─撮影中の記録映像を<記憶のための連作>の総合タイトルでまとめることにする。救援基地の一室にヴィデオ編集機を持ち込んで『野田北部・鷹取の人びと』第1部の編集に入る。17日─救援基地内に完成した「ペーパードームタカトリ」の落成式。撮。地域に開かれた新たな集会所の誕生。10月3日─記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第1部完成。5日─同作品、地元でお披露目上映。終了後ビールとコロッケで懇親会。以後、連作の上映会はこれが定型となる。8日─同作品、山形国際ドキュメンタリー映画祭で正式招待作品として上映。11月8日─大風吹き寒。冬がきたまちの変化を撮る。24日─鷹取東地区の区画整理事業開始決定。被災地全体の第1号。野田北部と鷹取東の合同地区計画委員会。撮。区画整理の展開を巡って両地区の対応の相違が顕になる。12月13日─地域の小学5年生が授業の一環で教会(基地)の神田裕神父にインタヴュー。「地震があってよかったことって何ですか」根源的な問いなり。撮。21日─復興対策本部が行政と合同で地域の新築住宅を見て歩く。撮。違反建築有。本部役員のジレンマ。23日─大国公園でもちつき。撮。地域の人たち・ボランティア・応援団ら大勢参加。震災の年が暮れていく。
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