【95年7月〜8月】
区画整理をめぐって人もまちも揺れ、議論活発になる。家族を亡くした住民の悲しみ。子どもだんじりと盆踊り、人びとは夏まつりにしばし憩う。(67分)
「第4部」は1995年7月から8月までをまとめてあります。
7月1日─早大理工学部で「映像と復興まちづくり」シンポジウム。野田北部から焼山昇二さん林博司さん参加。「二度と箱根を越えることはないと思っていた」とふたり。青池もパネリストとして出席。特別編集の『野田北部レポート』を上映。焼山、林の臨場感溢れる「語り」と映像は参加者250人の耳目を撃った。同日、鷹取救援基地でボランティアをしている東京経済大学のグループが同大内で報告集会を開く。基地から神田裕さんと和田耕一さんが参加。5日─野田北部・鷹取は激雨。そのまちを撮る。16日─海運町2・3の住民集会。撮。会議の進行を巡って住民同士の対立。区画整理の道路幅に関する行政の説明に住民から異論反論続出。住民内部/住民と行政の対立と諍いをどのように克服していくか。8月3日─新湊川公園で紙のログハウス作り。撮。ビールのケースを基礎に太い巻き芯を柱にコンパネを壁にした簡易家屋。これを6棟、基地のボランティア60人が総出で建てた。酷暑のなかブルーシートテントで暮すヴェトナム人被災者のために。5日─夏祭り。「こんなときだからこそ祭りをやろう」住民の心意気が実を結んだ。だんじりの町内廻り、カラオケ大会、ヴェトナムのこどもたちの踊り、盆踊り、最後は「上を向いて歩こう」の大合唱。すべて撮る。10日─鷹取商店街の仮設店舗5軒が開店。撮。被災地もしばしの盆休みに入る。
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