【95年3月下旬〜4月下旬】
自衛隊による瓦礫撤去作業。焼け跡で土さらいをする住民、人びとはそれを宝さがしと呼んだ。桜咲くも、春の嵐のなか合同慰霊祭。(60分)
「第2部」は1995年3月下旬から4月下旬までをまとめてあります。
3月20日─海運町3丁目の焼跡に自衛隊が入り瓦礫撤去開始。撮。復興対策本部のメンバーが立ち会う。重機が大きな瓦礫を取り除けた後、住人が土さらいをした。彼らはそれを宝さがしと呼んだ。25日─東京の地下鉄でサリンが撒かれたとの報。被災地に衝撃が走る。31日─第8回復興対策委員会。撮。住民の議論は果てしない。4月1日─海運町2丁目の焼跡に自衛隊が入る。撮。2日─カトリック鷹取教会で震災後初の結婚式。撮。聖堂なく野外での挙式。教会の内外には更地が広がっている。地域の人や救援基地のボランティアも参列。新郎新婦はもとより再生の日々を歩むみんなの歓びの日となった。4日─町丁別住民集会。海運町2・3丁目を撮る。個々人の立場と主張が見えてきた。女性たちの言動活発。14日─第9回復興対策委員会。撮。いつものことだが終了後は本部の面々と酒になる。15日─妙法寺川沿いの桜を撮る。基地内の一室を青池組(この頃から撮影隊はそう呼ばれるようになった)専用の宿舎として借り受ける。謝。16日─佐藤滋早大教授(都市計画)来訪。地域を案内し復興対策本部へ。浅山三郎会長を紹介する。23日─野田北部地区合同慰霊祭。撮。春の嵐が吹き荒ぶなか、近隣に住む人、遠くの仮設住宅や避難先に住む人ら多数が参列し、震災で亡くなった41人の御霊を慰めた。その準備と進行に地域の結束力を見た。
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