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青池憲司コラム眼の記憶10

第6回 KOBEで/1.17
2010.2.27
写真 17日夜、JR新長田駅前広場

 1月17日(日)。05時に目覚める。前夜というか日付がかわっても呑んでいた酒の影響はない。やはり、昨夜とは異なる今朝である。起床。身繕いして大国公園へ。未明の公園には、すでに、慰霊のローソクが灯され、地域の人たちが集っている。あの日から16回目の朝である。あの日はこの地にいなかったわたしには15回目の朝である。住民のみなさんと低声で挨拶をかわす。この日の朝のこの時刻はだれもがことばすくなである。05時46分、黙祷。風なく暖か。

 黙祷が終ると、人びとは声をかけ合って三々五々家路についた。わたしには、この日の朝にしか会うことがない人も多い。毎年、この朝に出会っていたのに、それが絶たれた人もすくなくない。残念にも亡くなられた方がいるし、高齢に達し外出が困難になった方もいる。震災後,復興まちづくりで知り合ったあの人あの顔がうかんでくる。わたしは、これまで、周年の感想を訊かれると、それはただの通過点にすぎない、と答えてきたが、ことしのきもちは例年とすこし異なる。15年間、捲まず撓まずつづけられてきた活動の蓄積があると同時に、その間、伏流水のように流れていた人の思いや新たな行動計画が、すこしずつかたちを現わしてきた。ことしはその事象に注目していきたい。

 大国公園をあとにして、カトリックたかとり教会へ。キリスト教と仏教のコラボレーションによる鎮魂の儀式が執り行われている。キリスト者の祈りの声と僧侶の読経。賛美歌と般若心経。地域の住民さんや信徒さんに混じって、かつて鷹取救援基地でボランティアをしていた人たちの姿がある。大学を休学して半年ほど基地のスタッフとして活動したホーホーやベビー、ハマの顏がある。当時、救援基地ではだれもがボランティア・ネームで呼ばれていた(だから、おたがい、本名を知らない)。けさもその名前で呼び合う彼ら/彼女らも、いまは連れ合いやこどもといっしょの家族連れである。わたしにとってはうれしい出会いであり再会である。夜が明けていく。

 野田北ふるさとネットの事務所にもどる。浅山三郎・野田北部まちづくり協議会会長と話す。とくに何かを話題にするというのではなく、世間話をしているだけなのだが、この人と喋っていると、おもしろいようにことばが転がっていく。17日の朝とあって、しかもことしは日曜日なので、被災地の内外からお客さんがやってくる。大阪から大学の先生が学生を連れて、中越地震の山古志から被災者のみなさんが。わたしも座談の端に加えてもらう。訪問客はここで一憩したのち、次の訪問地へと向う。これも震災後の例年に変らぬ1.17ならではの光景である。

写真 1.17希望の灯 in NAGATA

 神戸映画資料館へ。きのうにつづき、上映の合間のトーク、1時間ほど。ことしの朝の印象などを話す。夕刻、JR新長田駅前広場へ。17時46分の「1.17希望の灯 in NAGATA」の点灯式に参加。わだかんさん(和田幹司・同実行委員長)と歓談。2000本を超える希望の灯(ローソクの炎)にかこまれていると、そのゆらめきのなかから、敬愛する詩人・安水稔和さんの詩がたちのぼってきた。

 

 これはいつかあったこと。

 これはいつかあること。

 だからよく記憶すること。

 だから繰り返し記憶すること。

 

 このさき 

 わたしたちが生きのびるために。

     (安水稔和「これは」) 

ことしも、KOBEとわたしの1年がはじまった。

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