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青池憲司コラム眼の記憶10

震災小片雑記・拾参(110617)
2011.6.18

 東日本大震災後に、このコラムの震災小片雑記を書きつつ、進めていた企画の報告をします。宮城県仙台市や石巻市で活動する市民、教師グループの要請で、 311大震災の被災地へ入ることになりました。「こども・学校・地域」というテーマでドキュメンタリー映画を撮ります。舞台は石巻市の一つの小学校(門脇小学校)とその校区(地域)で、期間は、とりあえず、1年です。その間、現地に常駐します。作品は下記のような内容で、すでに撮影をはじめています。

宮城で始まった撮影のようす/石巻・旧北上川河口にて


東日本大震災から立ち上がる人びとを記録するドキュメンタリー映画
『宮城からの報告―こども・学校・地域』(仮題)

○ 企画・製作:映画『宮城からの報告―こども・学校・地域』製作委員会
代表:阿部和夫
事務局長:佐藤 進

○ スタッフ
監督:青池憲司
撮影:一之瀬正史
録音:滝澤修
監督助手:尾崎日出夫

○ 製作期間及び公開時期(予定)
撮影期間:2011年6月〜2012年3月
公開時期:2012年9月(予定)

○ 撮影地域
石巻市、東松島市、女川


○ 製作にあたって(青池憲司)

「再生の道を歩むみなさんに同行したいと思います」

 3月11日、 大災害に襲われた東日本各地とは較べものにならなかったとはいえ、わたしが住む東京湾岸でも大きな揺れがありました。それからの日々、報道で被災地の様相を知るにつけ、非被災者のわたしに何ができるかを考えつづけていました。そんなときに仙台の知人から、「宮城で記録映像をつくりませんか」というEメールがとどきました。

 「映画表現者のわたしにできることは何でもします」と応えて訪仙し、知人たちの集りに出席しました。今回の企画にわたしが参加する始まりです。

 次の日、知人の案内で、広大な被災地の数か所をまわりました。ちいさな見聞が印象に残りました。それは、石巻市北上町相川小学校近くでのことです。ひとりの男性が、いまはあとかたもない、自分の家屋敷の建っていた土地でスコップを振るっていました。知人が話しかけると、男性(漁師さんです)は、「家のまわりに地蔵さまが流されて横たわっていたので、元の場所にもどしておいた」と彼方を指差しました。そこにはお地蔵さまが端然と座していらして、その顔が向いているのは津波にやられた小学校でした。まだ散乱状態の校庭に数人のこどもがいて、何してるのと訊くと、「べつに。なんか、ときどき、学校にきたくなる」といった意味のことばをボソリと呟きました。――いま、被災地のどこでも見られる光景でしょうが、映画のイメージづくりの一つとなる出会いでした。

 わたしがこのドキュメンタリー映画製作の協働者としてできることは、被災したみなさんが非常な努力で切り開いていく再生の日々に同行させていただくことです。そして、こどもたちがこの困難のなかでどのように成長していくか? こどもたちの前に立ち現われる障害にたいする教師のみなさんの模索と実践、保護者をはじめ地域の人たちの生活再建の道のり、などをキャメラとマイクで丹念に記録することです。そうすることで、3月11日を記憶し、その日以後の再生のプロセスを多くの人たちに共有してもらうことです。

 「こども・学校・地域」が困難に立ち向かい、それを乗り越えていく日々の活動には、わたしたちの社会を新しくする芽がいっぱい潜んでいると思います。その芽を育むのは被災地を支援する運動の大きな一つだと考えます。そのためにも再生のプロセスの共有が望まれます。と、まあ、ここまで書いてきてあらためて思うのは、これはなかなかにむつかしい作業であるということです。しかし、手を拱いているわけにはいきません。映画製作委員会のみなさんと知力を合わせて撮影を進めていきたいと思います。

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