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青池憲司コラム眼の記憶10

震災小片雑記・拾壱(110505)
2011.5.6

【小片23】

  4月17日のつづき。東松島市鳴瀬第二中学校をあとにして、同市の野蒜地区へ。昨夜同席したMKさんが家屋のかたづけのボランティアをしている所だ。貞山運河(ていざんうんが)を左手に見ながら東へ進む。貞山運河は、仙台湾沿いに、江戸時代から明治時代にかけて数次の工事によって開削された日本最長の運河系である。複数の堀(運河)が連結して一続きになったもので貞山堀とも呼ばれている。仙台湾の海岸線約130kmのうち、約半分の約60kmに及ぶ。その歴史ある水運もいまは惨たる姿である。道路を挟んだ北側のJR仙石線野蒜駅を見る。

【小片24】

 国道45号線にもどり石巻へ向う。途中のコンビニであんぱんを買い朝食。おにぎりはなかった。商品全体が品薄。石巻市内に入る。日本製紙石巻工場を見る。惨。日本の製紙生産の約3割をになっている東北地方の製紙工場が大きな被害を受けたが、なかでも、日本製紙石巻工場は、大津波により工場内に土砂や瓦礫が堆積していて、操業を完全に停止している。いまだに、設備の正確な被害を確認できない状況だという。そのため、出版社への紙の供給が滞り、出版界は本、雑誌をつくる紙が足りない逼迫状態にあるという。これらの現状を見るにつけ、わたしのことばと、車中でSSさんと交わすことばがすくなくなっていく。これはいけない。黙すな!

【小片25】

 石巻市内の日和山公園へ。市中心部のなだらかな丘陵地にある公園。標高56m。旧北上川と、石巻港、市内のまちなみなどが見渡せる。見渡せた、と過去形で書くべきか。川は変わらず流れている。しかし、港とまちなみの多くは、いまは無である。日和山は、江戸時代から桜の名所として知られた場所だというが、ことしは・・・無念である。被災の状況を高所から見ていると動悸がしてくる。災厄のまちを眼下にしているといたたまれなくなる。それでも、何枚かの写真を撮る。

旧北上川河口付近。その先は仙台湾。

河口近くの中瀬(中州状の小島)

同。

【小片26】

 石巻市内を抜けて北上町をめざす。まちなか、漁港近く、湊地区、渡波(わたのは)などの地域を車窓から見る。まちなかでは街路のかたづけ(泥と瓦礫)をする自衛隊員の姿と、ピースボート・ボランティアの組織だった動きが目についた。398号線を走り牡鹿郡女川町へ。港近くの高台にある町立病院の駐車場に車を止める。ここは海抜20mだそうだが津波はここまで上がってきている。数枚の写真を撮る。

町立病院の駐車場と女川町市街。

女川港と女川湾。

【小片27】

 平場へ降り、まちなかを歩く。人影もなし人声もなし無音。そのなかを、SSさんとふたり、ことばを掛け合って行く。「これから気候がよくなって、海産物を買いにくる客で賑わう季節なのだが・・・」とSSさん。わたしは、その光景をひたすら想像し、あれこれを声にしつつ歩く。黙さない!

津波で横倒しになったビル(基底が見えている)

3階建てビル屋上の車。

その地上には三輪車が。

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