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青池憲司コラム眼の記憶10

震災小片雑記・九(110419)
2011.4.21

【小片18】

 11日。東日本大震災から1か月。浜松へ。地元の若者たちと話す。5月1日から3日間行われる勇壮な「凧合戦」(浜松まつり)は、ことしは中止だという。"自粛"である。「こんなときだから、被災地の人たちを励ますためにもやらまいか!」というのが遠州っ子のはずなのに、と友人。「その時期、浜松の男たちは、わっしょいわっしょい、で仕事もほったらかしになるのに、ことしはどうするんだろう?」。わたしは、「みんなで被災地へ出かけて2日間ボランティアをして、1日大凧を揚げて被災地の人たちに楽しんでもらったら?」と提案する。「マジっすか」「マジだよ」。マジに、現今の"大政翼賛的自粛大合唱"を撃ち棄てねば。

 夕方帰京。17時16分、地下鉄のなかで地震に遭う。車内で「ヴーヴー」という音が一斉にするのでびっくりした。それは、地震がくるぞを知らせる携帯電話の緊急地震速報音であった。電車は急停止し車内は静まり返った。揺れはけっこう大きく緊張したが、だれも騒がない。この程度の揺れは"想定内"といった雰囲気である。ヤヤあって運転は再開された。揺れもさることながら、ヴーヴー音が不気味であった。

【小片19】

 12日。08時08分、大きく揺れる。震源は千葉県沖海底。震災から1か月がすぎても余震はおさまらないどころか、規模が小さくなっていく気配すらうすい。

 日本建築学会まちづくり支援建築会議主催の『まちづくり展』の「連続ワークショップ」のオープニング「神戸からのメッセージ」に、話者のひとりとして参加。野田北部を記録する会制作の『Starting All Over Again』(この作品は、1995年の春から初秋までの野田北部・鷹取をまとめたもの)を上映し、喋る。阪神大震災の復興プロセスで身につけた知恵と技術をベースに、東日本大震災の復興に乗りだすことはいうまでもないが、しかし、それだけではこんどの震災には太刀打ちできない。阪神を基にしつつ、どう阪神離れをするか。話者として同席したのは、小林郁雄さん(まちづくりプランナー)、真野洋介さん(東京工業大学准教授)。両氏とも、KOBE復興に住民の協働者として力を尽くした。

【小片20】

 13日。東京電力福島第一原子力発電所の危険度がレベル7になる。

 夜遅くにせっちゃん(河合節二・野田北部まちづくり協議会事務局長)から電話あり。岡野光男さんが亡くなった、と。野田北部の住民である岡野さんとはじめてお会いしたのは撮影開始直後の1995年2月、場所は、まちづくり協議会の集会所だった。そのときから、2000年に撮影を終了して野田北部を去るまで、われわれスタッフには隣人同様のおつきあいをいただいた。いや、それ以後も、野田北部を訪ねたときはかわらぬ親しさで接してくださった。阪神大震災後16年間のご厚情を感謝します。安らかにおやすみください。

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