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青池憲司コラム眼の記憶09

第9回 往還 〜KOBE・南木曽・世田谷〜(8)
2009.3.27
神田裕神父

 南木曽中学校での「阪神大震災をつたえる特別授業(講演会)」を終えて、わたしは、松瀬博敏さん(ウッディー・クリエイト・ナギソ会長)の案内で妻籠宿へ向かった。どんよりとした天気の夕暮れ、みぞれまじりの雨が降りかかるモノトーンの集落は、日本列島風景のよき趣のなかにあった。その一画の事務所で、わたしは、小林俊彦さんにあった。南木曽町が全国に魁(さきがけ)て、「伝統的な町並みづくり」に取り組んだときのリーダーである。南木曽町の住民運動は、その後、全国的な「町並み保存運動」ヘとつながっていく。小林さんは80歳になられるが、矍鑠(かくしゃく)。「妻籠を愛する会」理事長、「木曽風景街道推進協議会」会長を務めていられる。トップランナーである。短い時間であったが、この方にお会いできたのは望外の喜びであった。

 さて、催しものには懇親会とよばれる宴がつきものである。おなじ日の夜、民宿「こおしんづか」さんを会場にしてそれは行なわれた。阪神大震災後の神戸市長田区野田北部・鷹取で知り合った、いわば震災復興の友ともいえる人たちが大勢いて、また、はじめてお会いする人たちも、みんな鷹取つながりの仲間で、宴はいやがうえにも盛り上がった。ちなみに、盃を重ねた酒「七笑」は、2007年5月26日、新しいたかとり教会(たかとりコミュニティセンター)の竣工式の日に南木曽から振る舞われた四斗樽とおなじ銘酒であった。「南木曽で阪神大震災をつたえる催しをやろう」と話し合った、そのときに呑んだ酒を、企画が実現した打上げの宴でふたたび呑む。わたしは、南木曽の人たちのもてなし心につつまれて、至福の一夜であった。同席した一人ひとりのお名前を挙げて感謝を表したいのだがそうもいかない。みなさん、ありがとうございました。なお、妻籠の茶房画廊「康」さんのブログ(http://blog.livedoor.jp/gallery_kou/archives/50029065.html)の「妻籠での出来事」欄1月31日付に、当日と当夜の模様が多数の写真入りで掲載されているので、ぜひ、ご覧ください。(http://blog.livedoor.jp/gallery_kou/archives/2009-01.html)「康」さん、すばらしい記事と写真をありがとうございます。

俳優の黒田福美さん

 一夜明け、1月31日、松瀬さんたちに送られて東京へもどり、世田谷区下北沢で行なわれた「神戸をわすれない 世田谷」の集会に出席。この集りも数えてみれば今回が第22回。14年間、よくぞつづいている。野田北部を記録する会が制作した阪神大震災関係のドキュメンタリー映画は、英語版と中国語版をのぞいて、すべて上映されている。星野弥生さんをはじめ世田谷庶民の尽力や多である。この日の集りのメイン・スピーカーは、かんちゃん(神田裕神父)で、鷹取から台湾へ移築された「ペーパードームたかとり」の「台湾完成式」の模様を、スライドショーを展開しながら、話された。写真映像はとても美しく、語りはとても興味ぶかいものだったが、ここではそれを再現する余裕がない。神田さんのブログ「ひろっちんの日記」(http://phknd.tea-nifty.com/phknd/cat6997722/index.html)の「ペーパードーム【再生】日記」をご覧あれ。たのしめます。

河合節二さん

 わたしは、「野田北部・たかとり震災資料室」のために制作した資料映像『震災復興のあゆみ〜あの時と今〜』(DVD、33分)を上映し、南木曽中学の授業と南木曽町での出来事を話した。俳優の黒田福美さんが来場していて(彼女はこの会の協力者で、以前、『多民族社会の風』のナレーションを読んでいただいた)、自身の阪神大震災へのかかわりとこだわりを語った。そこへ、野田北部のせっちゃん(河合節二さん)まで、「明日、こっちで講演会があるので1日まえに出てきた」と現われて、あっちもこっちもが繋がってしまった。あっちもこっちも、というのは、ここでは、被災地KOBE南木曽台湾世田谷である。ことしも、阪神大震災を、語り「継ぐ」こと、語り「繋ぐ」こと。KOBEと世界の往還はつづく。

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