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青池憲司コラム眼の記憶09

第8回 往還 〜KOBE・南木曽・世田谷〜(7)
2009.3.19
写真 感想文集表紙
写真 感想文集表紙

 南木曽中学校生徒の『「阪神大震災」を伝える講演会の感想文集』が、いまわたしの手許にある(写真)。1年生から3年生までの生徒が書いた文章を石井教頭先生が一冊にしてくださり、主催事務局の丸野さんが送ってくださったものである。中身も装いも心のこもった文集を、南木曽の人たちへあらためての感謝をしつつ、ていねいに読ませていただいた。どの文章も、自分に引きつけて考えた感想がつづられていてうれしく読んだ。そのなかから断片的ではあるが、いくつかを紹介したい。(表記はすべて原文のママ)

◯「まず驚いたことは、被害の様子でした。私は以前、この地震で崩れてしまった高速道路などは見たことがありました。でも崩れてしまった民家は見たことがなかったので驚きました。(中略)3つのキーワードの1つ『町づくりはダチづくり』なるほど〜と思いました。やっぱりまず人同士がつながらないと町はできてこないということに共感しました。これは町に限らず私達でいえば“クラスづくり”“学校づくり”などにつながってくると思いました。」(1年)
◯「わたしは、大きい地震が阪神に来た、ということまでしか知りませんでした。しかし、この地震で南木曽町が動きだして、『南木曽町には木がある!!』と言ってもっていったということをはじめて知りました。阪神の人の役に立てていいなと思ったし、今も交流がつづいていてうれしかったです。」(1年)*引用者注=南木曽の木材が被災地KOBEで役立てられた事実をほとんどの生徒が知らなかった。
◯「今までは、阪神大震災の被害の大きさや建物の倒壊の様子しか見た事が無かったけれど、今回初めて被害が起きた場所の裏で働いていた人達の姿を見ました。そして、いかにその被害が大きかったのか、という事を知ることができました。」(2年)
◯「DVDを見て、町の復興の会議をしている町の人たちを見てすごいと思いました。役場の人たちだけに頼らずに自分たちが、けんかになってでも話し合っている姿が、それだけ町の事を思っているというのがすごく伝わってきました。」(2年)
◯「震災は多くの人々に深い傷を残しました。ですが震災は私達がこれから生きのびていく上で大切な事を教えてくれたのかもしれません」(2年)
◯「今まで私は、人との関わりなどなくたって別に大丈夫だと思っていたし、寒くても温かい物があれば大丈夫だと思っていました。しかし、この話を聞いて今までの私の考えは変わりました。1人はみんなのために、みんなは1人のために、という言葉が私には一番印象にのこったものでした。何かあった時こそ人と人との関わりが必要になってくるんだなぁと思いました。」(3年)
◯「阪神大震災の事や被害の事は多少知っていました。ですが、それからの復興と今に至るまでを知らなかったのでとても勉強になりました。たぶん、僕以外にもそう思っている人はいると思います。」(3年)
◯「助け合うのは、ドラマの中だけの話だと思っていました。しかし、今回の講演会を聞いて、本当にあるのだと思いました。」(3年)
◯「南木曽町があんな形で神戸と関わっていたなんて初めて知りました。正直、遠くの話だから関係ないと思っていました。それでも何とか助けようと動いた南木曽町を誇りに思います。」(3年)

 まだまだ紹介したいが、すべてを引用するわけにもいかない。これらの感想文を読んだだけでも生徒たちの理解力と感受性のすばらしさがよくわかる。被災地KOBEと南木曽との往還はつづいていくことであろう。

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