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青池憲司コラム眼の記憶09

第7回 往還 〜KOBE・南木曽・世田谷〜(6)
2009.3.14
写真1 生徒130人と関係者を前に

 わたしは、つぎのようなあいさつから授業(講演)をはじめた(写真1)。

 「きょうの授業で、みなさんにいちばん『つたえたい』ことは、阪神大震災の大きな被害のなかから立ち上がった被災地の住民さんたちが、『どのように地域(まち)を復興させたか』ということです。わたしたちが阪神大震災から学ぶことはたくさんあります。大事なことは、その被害の実情と、住民さんの復興のプロセスを、よく知り、わたしたちの記憶として受け継いでいくことだと思います。阪神大震災を体験した人たちから震災を知らない若い人たちへの『記憶のリレー』きょうの授業がそのためのバトンになればいいなと思います」。

 そして、以下のような構成で授業を進めた。それは、わたしの話と、野田北部を記録する会が制作した<記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部>から抜粋した映像の上映とを、交互にくり返して、テーマを進行させていく方法である。

1. プロローグ

*まず、十市十町に及んだ阪神大震災の全体的な被害状況を、データ資料にもとづいて話す。

2. 神戸市長田区野田北部・鷹取地区の状況

●映像1=地震直後のまち(地域)の様子
*「この映像は1995年1月17日に発生した震災の、いわば『過去の映像』だが、将来予測される災害で、わたしたちのまち(地域)が被るかもしれない『明日の映像』でもある」と話す。
●映像2=古市忠夫さん(鷹取の住民で消防団員)の話
*古市さんは、火事になっても消防車は来ず、消火活動は無理と判断。火の手を見ながら、倒壊した家のなかから人を助け出す。
*「被災者は最初の救助者である」と話す(キーワード1)
●映像3=林 博司さん(野田北部の住民)の話
*林さんは、娘さん(当時中学3年生)を亡くした。その「とき」を語った。林さんは、悲しみを抱きつつ、まちづくり協議会の活動に力を注いだ。

3. だれが地域(まち)を復興させたか

●映像4=野田北部まちづくり協議会と住民集会の様子
*区画整理の問題点を住民さんと行政職員が議論する。
*「災害からの復興には、住民・専門家・ボランティア・行政、この四者の『恊働』が欠かせない」「『恊働』は仲よしごっこではなく、自分の意見を述べ、他人の話を聞くことだ」と話す。
*「ひとりがみんなのために、みんながひとりのために」と話す(キーワード2)
●映像5=鷹取救援基地とボランティア
*鷹取救援基地の住民救援活動の様子。
*南木曽の木材はどのように使われたか。「車椅子用のスロープ、手すり、腰掛け、浴槽をまたぐための踏み台、ちょっとしたもの掛け、など、高齢者や障害者が必要とする用具をつくるために使われた」ことを話す。

4. 現在のまちとメッセージ

●映像6=復興した地域の現状と神田裕さんのメッセージ
*復興のプロセスには多くの人たちの協力(支え)が必要である。それがきっかけで交流がはじまり友だちができる。
*南木曽と野田北部・鷹取のお付き合いは、そのごもますます盛んにつづいている。神田さんがスクリーンから呼びかけた、「南木曽の中学生のみなさん、神戸においでー!」
*「まちづくりはダチ(友だち)づくり」と話す(キーワード3)

5. まとめ(三つのキーワード)

*被災者は最初の救助者である。
*ひとりがみんなのために、みんながひとりのために。
*まちづくりはダチづくり。
写真2 60分、集中して見・聞してくれてありがとう

6. 質疑応答

以上のような内容で60分の授業(講演)を終えた(写真2)。生徒たちの反応は、わたしの話し中も映像上映中もじつによかった、と思う。いま手許に生徒たちが送ってくれた「感想文集」があるので、彼や彼女がどんふうにこの「授業」を感じとったかを、次回にみたい。

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