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青池憲司コラム眼の記憶09

第6回 往還 〜KOBE・南木曽・世田谷〜(5)
2009.3.10
写真 松瀬博敏「ウッディー・クリエイト・ナギソ」会長

 南木曽中学校のある長野県木曽郡南木曽町は、木曽路にあって、五街道の一つの中山道が通り、古くから文化・経済の要所として人や物の往来が盛んであった。わたしたちが観光地として知る「妻籠宿」は、南木曽町内にあり、いまではあたりまえのようにいわれる「町並み保存運動」の先駆けの地である。1960年代後半、日本が東京オリンピックを皮切りに高度経済成長へと突き進んでいった時代、過疎に悩んでいた妻籠は、地域存亡の危機のなかで、住民さんたちはその将来を町並み保存に賭けることを決意した、という。経済成長にともない全国の伝統的な町並みが姿を消していくなか、いち早く地域を挙げての景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」の最初の一つに選ばれた。

 妻籠は「町並み保存運動の先進地」であるが、そのことのみならず、全国の「住民によるまちづくり運動」にも大きな影響をあたえていて、野田北部まちづくり協議会も学ぶところが多かったと聞く。ここにも南木曽と野田北部・鷹取は繋がりがある。もうすこし南木曽のがくしゅうをすると、同町の公式ホームページには、

「南木曽町(なぎそまち)は長野県の南西部、木曽谷の南端に位置します。面積の94%が森林で占められており、そのうち7割が国有林です。町の中央を流れる木曽川とその支流をはさむ段丘に、与川、北部、三留野、妻籠、蘭、広瀬、田立の7集落が広がり、5,400人余りが生活をしています。」

とある。

 さて、南木曽中学校での「阪神大震災特別授業」=「子どもたちに阪神大震災を伝える講演会」である。当日の参加者は、1年生から3年生の全校生徒約130人と先生方、県と町の関係者、住民さんたち、PTAの人たちをふくめて150人を越えた。わたしはこれまでに大学と高校で震災の授業をしたことはあるが、中学でははじめてである。大・高・中で、話しかたにいちばん工夫がいって、むつかしいのは中学生であろう。生徒たちは、阪神大震災の年(1995)とその前年と後年に生まれた「震災を知らない子どもたち」である。かれらに興味ぶかく話を聞いてもらえるだろうか。きょうの「授業(講演会)」を企画・主催してくださった「ウッディー・クリエイト・ナギソ」(林業や建設業などの町民有志でつくるグループ)の松瀬博敏会長をはじめ関係者のみなさんも一抹の不安があったと思う。当然のご心配である。「うまくつたわるだろうか、ぜひつたえたい」。その緊張の一方で、わたしは、50歳以上も年齢の離れた少年少女たちに、阪神大震災の復興の日々に生きた被災地KOBEの人たちの話をできることがなによりうれしかった。そして、その機会をねばりづよく実現してくださった、「ウッディー・クリエイト・ナギソ」のみなさんや南木曽中学の先生方に、感謝! である。授業がどのように進行したかは次回に。

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