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青池憲司コラム眼の記憶09

第16回 KOBE〜中越、そして(6)
2009.7.31

(承前)

 『FMながおか』では1998年の開局以来、多元語放送のプランをもっていたが、中越地震が起きたそのときにはまだ実現していなかった。また、被災当初は、その必要性を痛感しながらも天手古舞のなか着手できないでいた。日本語を母語としない人たちに、どのように、すみやかに多元語で情報をとどけられるか? 『FMながおか』と、問題意識を共有する『長岡市国際交流センター』(羽賀友信さん)のまえにあらわれたのが、多文化共生センター(田村太郎さん)やFMわぃわぃ(日比野純一さん)、FACIL(吉富志津代さん)の協力申し入れであった。KOBEの三者と『長岡市国際交流センター』の連携の経緯はすでに書いた(小欄第14回)

 『FMながおか』が多言語(中国語・ポルトガル語・英語・やさしい日本語)で震災復興生活情報を流しはじめたのは地震から10日後であった。毎日2回の定時放送(16時〜、19時〜)は、行政サーヴィス(罹災証明発行や住宅相談など)の利用の仕方、学校や保育施設の状況、どこに行けば風呂に入れるか、ゴミの出しかた、さらには、エコノミー症候群の説明(余震が多く建物を避けて車中で暮す人も多かった)や悪徳業者への注意など、災害関連情報、生活情報、イベント情報と多岐にわたった。情報発信作業の基本は、『長岡市国際交流センター』やボランティアとの恊働にあったが、地元だけではとてもまかないきれる作業量ではなかった。

 そんなとき、KOBEをはじめとする全国各地から支援の手が差し伸べられた。たとえば、被災者が必要とする情報の翻訳は、その一部を『FMわぃわぃ』のスタッフが担った。中越被災地から送られてくる日本語原稿をポルトガル語や中国語に翻訳するとともに、それを音声化して現地へ送り返し、それが『FMながおか』の電波に乗せられた。インターネット時代ならではの連携作業である。阪神大震災では、手作業で行なわれた、外国人被災者への情報支援が、その後のさまざまな模索を経て、中越地震で速効的に活用された。このプロジェクトに協力した団体は、ほかにも、横浜市国際交流協会、武蔵野市国際交流協会、新潟県国際交流協会、新潟県国際交流課、JICA(国際協力機構)などがある。地震情報からはじまった『FMながおか』の多言語放送は現在もつづいている。

 『FMながおか』が地震発生直後から復興の日々にかけて行なった放送の数々は、「災害時のライフラインとしてのコミュニティ・ラジオの力」をあらためて広く知らしめた。日頃から地域のラジオとしての、細やかな情報提供と、リスナーとの顔の見える双方向の関係づくりが災害時に、他のメディアに抜きんでて活きた。また近隣地域のコミュニティ・ラジオ局『FMピッカラ』(柏崎市)や『FM雪国』(南魚沼市)との連携もあった。さらには、自治体からの生活関連情報を、長岡市や小千谷市の避難所に設置した大型ディスプレイに24時間文字放送で流した。これは、『FM東京』が文字入力し、『FM新潟』を経由して、『FMながおか』の電波をつかって実現した。

 阪神大震災の『FMわぃわぃ』などの活動から注目されはじめたコミュニティ・ラジオは、中越地震ではそのもてる力を充分に発揮して住民の評価と信頼をえた。2007年7月の中越沖地震では、さらにその重要性が高まった。現在、全国に177のコミュニティFM放送局がある。『FMながおか』放送局長であり、『全国コミュニティ放送協会』の副会長でもある脇屋雄介さんはいま、それぞれの局が独自にそして協力しあって、防災と地域づくりに貢献する事業計画を提案している。

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