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青池憲司コラム眼の記憶09

第10回 桜の花の満開の下
2009.4.7
写真1 銀座1丁目の水谷橋公園

 4月3日、東京銀座1丁目の小公園に、「在留特別許可を求める外国人家族17家族」と支援者の約70人が集った(写真1、2)。金曜日なので外国人家族のおとなは仕事を休み、春休みなので小学生や中学生のこどもたちは大勢(30人超)、ベビーカーに乗った乳児もいっしょに参加した。この集会は、“不法滞在”を理由に日本政府から国外退去を迫られている外国人17家族が、在留特別許可を求めて起した「100日間行動」の一環であり、その活動を支援するAPFS(Asian People’s Friendship Society)が主催した。「100日間行動」は2月1日からはじまっていて、きょうは、ここでの集会のあと、銀座を日比谷公園までパレードし、法務省へと到る。

 いま、滞在資格がないままに日本に居住する外国人の数は約17万人といわれている。その多くは、日本がバブル景気真っ盛りのころ来日し、国内の労働力不足を補い、日本社会を下支えしてきた人たちである。日本政府は単純労働者の受け入れを認めていないが、かれらを必要とする労働現場は確実に存在していて、行政もそれを黙認している。今回、在留特別許可を求めている17家族(56人=イラン、パキスタン、スリランカ、フィリピン、ミャンマー、中国、ペルー)は、非正規滞在者として日本社会を支えつづけてきた外国人労働者の一人ひとりにほかならない。

 17家族のいずれもが日本での居住年数15年以上と長く、滞在資格はないものの、かれらは地道に働き、職場での友人が多く、地域にもとけこんでいる。そして、その家族には日本に生まれて、日本で育ち、両親の故郷の地をまったく知らないこどもたちがいる。そう、かれら家族は、仕事でも生活でも学校でも、すっかり日本社会に根を下ろしている。このような家族を、“不法滞在”というだけの理由で強制的に国外退去させてよいものか。それは、わたしたちにとって、ひとり(多数)の隣人を、ひとり(多数)の仕事仲間を、ひとり(多数)の友だちを失うことになりはしないか。それぞれの家族が地元で行なっている在留特別許可を求める署名活動には、その家族と交流のある地域の人たちやクラスメートが多く参加している。

写真2 それぞれ手づくりのプラカードを持つこどもたち

 こういう状況に接するたびに、わたしは、「多文化共生教育ネットワークかながわ」で活動する高橋徹さんの二つのことばをおもいうかべる。一つは、「子どもたちや家族の願いと国家の利益は、対立するとは思えない。彼ら・彼女らが、家族とともに生き、日本で学び続けたとしても、誰も不幸になる者はいない。」であり、二つは、「外国人(マイノリティ)とともに生きようとする日本人(マジョリティ)の側にも権利があるのではないか。退去強制は、当該外国人を取り巻く日本人の権利をも奪っているのではないか。ともに生きる権利――『共生権』はマジョリティの側にも拡張すべきである。」。わたしはこれらのことばにふかく共感している。

 小公園には桜の木が数本あって満開であった。花の下に集った参加者はそれぞれの思いを書いたプラカードを手にしていた。こどもたちは、「電車の運転手になりたい」「将来の希望はお医者さん」「外交官になりたい」「警察官になりたい」(これにはちょっとびっくり)など、自分の夢を書いた。夢の実現のためには、こどもたちも親たちも家族いっしょにこの国に在留できることがまず必要である。プラカードの多くは「日本にいたい。日本で勉強したい」という切実な夢であった。APFS代表の山口智之さんがこどもたちに呼びかけた。「みんな桜を知ってるよね」、みんなは大きな声で「知ってるぅ!」。「桜の花は1年でこの時期にしか咲かないんだ」、「うん、知ってる」。「来年もまた、みんないっしょに桜を見られるようにがんばろうね」、「がんばるぅ!」

 そのご、一同は法務省へ向かって出発し、「日本で暮らしたい! 日本で学びたい!」の横断幕を先頭に、銀座・日比谷をパレードした。陽光の下、オレンジ色の旗とこどもたちの黄色い声のシュプレヒコールが弾けていた。

■WebサイトTBSNEWS http://news.tbs.co.jp/20090403/newseye/tbs_newseye4098840.htmlで、当日(4月3日)の集会とパレードの動画が見られます。

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