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眼の記憶08

第9回 ブラジル移民100年とわたし
2008.4.30

 1908年(明治41)4月28日、ブラジルへの第1回移民781人(158家族)を乗せた笠戸丸が神戸港を出航した。2か月後の6月18日、サントス港に到着。国策によるブラジル移民のはじまりである。それから100年、いま、ブラジルに居住する日系人は約150万人を数え、4世5世の時代をむかえている。100周年を祝って、現地はもちろん、日本各地でも、さまざまな記念行事が開かれている。日系ブラジル人が集住する静岡県浜松市、群馬県大泉町、国を離れる移民たちが集合・出発した神戸市など、それぞれに歴史と地域の特性を活かした催しが行われている。

 神戸では、NPO関西ブラジル人コミュニティ(CBK)http://www16.ocn.ne.jp/~cbk.bras/主催で、『神戸からの発信 ブラジル移民100周年祭〜日系ブラジル人のいま、そして未来へ〜 Uma mensagem de Kobe : Cem Anos da Emigracao Japonesa ao Brasil O Presente e o Futuro dos Brasileiros Descendentes de Japoneses』が、4月12日から27日まで開かれた。場所は、旧神戸旧移住センターである。(関西ブラジル人コミュニティと旧神戸移住センターについては、わたしのコラム「Circuit 06」の第18回に詳しい記述がある)。この企画プログラムには関心を惹かれるものが多々あって、その時期に訪神して会場を訪ね、あわせて「森下」で野田北部・鷹取の連中と一杯やるつもりだったが適わなかった。残念。

 さて、ブラジル移民100年を記念するさまざまな行事に水を差す気はさらさらないが、わたしがいま目を向けたいのは、「ブラジル移民100年」は「デカセギ20年」でもある、ということだ。1980年代後半にはじまった「デカセギ」は、1990年の出入国管理法改正で日系人の就労制限がなくなり本格化した。現在、30万を超える人たちが、ニューカマーの「在日日系ブラジル人」として列島各地で暮らしている。彼らは地域の会社工場で働き、子どもは学校へ通い、家族は地域社会にとけこんで生活している。日本人とブラジル人が混住する地域ではコミュニティの一員として積極的に活動している人もいる。日系ブラジル人と地域社会の問題を考えるとき、わたしの脳裏を去らないことがある。昨年6月、静岡県袋井市で起きた出来事である。

 袋井市の、ある地区に定住することを望んだ日系ブラジル人(妻と子どもの3人家族)が、家を建てる土地を購入しようとしたところ、自治会が不動産会社に圧力をかけてそれを阻止した。この家族は数年前から同市内の市営団地で暮らし、2002年に永住権を取得している。まじめな労働者であり住民である彼らを、なぜ地域社会は隣人として受け入れることを拒んだのだか。「さいきんは日系ブラジル人による犯罪が増えているから」というのが、転入に反対する理由である。このブラジル人は、土地売買の仲介を受けられず、静岡地方法務局袋井支局に「人権侵害だ」と申し立てた。同支局は人権侵犯の事実を確認、「今後、同様の行為を繰り返すことのないように自戒してほしい」とする文書を住民と不動産会社に送付した。しかし、自治会は、「できれば入ってきてほしくないというのが本音」と話した。ブラジル人は、「ブラジル人のイメージが悪いのはわかる。でも自分はまじめに働いていて、日本語も話せる。あいさつに行って自分を見てほしかったが、『来なくていい』といわれた」と語った。結局、ブラジル人は同市内の別の場所に土地を購入して住宅を建設した。

 ニュースを知ったとき、わたしは情けなさと怒りと恥ずかしさを覚えた。いまも変わっていない。この問題は他人事ではなく、あるコミュニティだけの特定事案でもないからである。「ブラジル移民100年」と「デカセギ20年」。多民族共生をいうとき、意識変革を要請されているのは、彼ら(外国人)だけではなく、われら(日本人)もまた、なのである。

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