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眼の記憶08

第8回 ふたりのシベリア
2008.4.14

 捕虜としてシベリアへ送られ、イルクーツク州の六つの俘虜収容所(ラーゲリ)で4年間の強制労働生活を送った高杉一郎さんが、1949年9月に復員して、のちに一冊になる『極光のかげに――シベリア俘虜記』の第1回を雑誌『人間』に発表したのは1950年8月(号)である。ちなみに、この年は、6月に朝鮮戦争が勃発し、8月に警察予備隊(自衛隊の前身)が発足している。あらたな戦争がはじまりあらたに軍隊が結成されようとしていた。いや、戦争も軍隊も装いをかえただけだった。もうひとりの復員作家長谷川四郎さんは、1950年2月に帰還し、小説『炭坑ビス――ソ連俘虜記』を『中央公論』1950年5月号に発表した。以後書きつがれることになるシベリアものの序章といってもよいこの作品は、次のように書きだされている。

 「チチハルからマンチュリー経由で入ソした俘虜軍の一個大隊を編成するわれわれは、一九四五年十一月七日、すなわち革命記念日の晩にカルイムスカヤの駅に到着し、数時間停車した。晴れた星空の下に点々と電灯を灯した町は、それが革命記念日であるにせよ、なにか宗教的な祝日か或は普段の日であるにせよ、われわれの参加しえないお祭りを祝っているように見えた。すでに非常に寒く雪が積っていた。」‥‥‥「『どこへ?』これがわれわれの唯一の質問だった。/『チタを経由してウラジオへ』とわれわれの警戒兵はきまり文句で答えた、『そしてウラジオから東京へ』と。/この答えは本当だった。ただわれわれはこのコースを通るのに四年半の時間を要したのである。」

 わたしは、この即物的な文体が好きである。あたかもイタリアン・ネオ・リアリズムの映画を見るような、そのキャメラ・ワーク(文体)は、『シベリヤ物語』全篇を貫いている。で、抑留生活の4年半の間、長谷川さんはなにをしていたのかといえば、「主としてチタ近傍の炭坑ではたらいた。そのほか、伐採、材木の搬送、煉瓦作りなど。」(『シベリヤ物語』作者のことば)。ほかに、コルホーズで働き、線路工夫、掃除夫などに従事して(させられて)いた。そして、労働の対価としてパンと雑穀を支給された。そのなかみは、ノルマに達しないとパン250グラムと雑穀350グラム、ノルマを越えるとパン350グラムと雑穀450グラムというものであった。また、「炭坑の重労働に就く者は働き高によって金を支払われ、この金で彼らは黒パンどころか、白パンや砂糖やバタさえ買って、大いに食っていた」(『勲章』)。すなわち、「各人その能力に応じて働き、各人その仕事に応じて与えられるのである。」(『掃除人』)。

 そうした労働の内容と、作業中の街路・工場で出くわした囚人労働者やソヴィエト市民との交流エピソード(「わたしがシベリヤにいた当時はいたる所にスターリンの肖像が掲げられ方々に収容所が立っていた。煉瓦作りで窓に鉄格子のはまった監獄もあれば兵営式の収容所もあったが、一見自由な市民のように見えて実は一定の行政区画から出ることを足止めされて働いている人たちもいた。」(『シベリヤの思い出』)、そして収容所内の出来事(日本人俘虜社会の民主化運動)などが、平明で抑制の利いた筆致で提示されていて、小説『シベリヤ物語』一巻(筑摩書房刊1952年)は抑留生活現場の報告書であるともいえる。

 おなじころ、おなじような体験をしている高杉さんは、収容所内での民主化運動をめぐる議論を書きとめている。「シベリアで新しい世界観のとりことなった日本人が数えきれないほどいるわけだが、さてこのなかにほんものが何パーセントいることか、衣裳の説じゃないが疑わしいもんだ」という仲間の意見に、高杉さんは、「シベリアの民主主義者をひとりひとり近くで眺めると、単純な善玉悪玉論者だったり、一寸先も見えない正義派に過ぎなかったり、利権屋だったり、便乗派だったり、弥次馬だったり、あるいは関東軍時代とちっとも変らない念仏講だったりする。(略)だけどもね、六〇万の日本人がこの土地で社会主義を体験したという事実、こいつは無視するわけにはいかんよ。その日本人が、いわゆる民主主義者であろうと、反動であろうと、そんなことは問題じゃない。それらの人たちが例外なく、社会主義をパンフレットのなかにではなく、生活のなかに体験したという事実が問題なんだ。」(『極光のかげに――シベリア俘虜記』)と返す。「それらの人たちが例外なく、社会主義をパンフレットのなかにではなく、生活のなかに体験した」ことが、戦後日本の社会建設の現場でどのようにイキタかイキナカッタか。その具体をいまのわたしは詳らかにしないが、大方の見当はつく。

 アジア太平洋戦争が終って63年目の春のほぼ半月を、高杉さんのシベリアものの初読と長谷川さんのシベリヤものの再読ですごした。再読といっても細部は忘却しているので初読のようなものだ。両氏が書いた俘虜記は、ともに、抑留生活を特別な体験として過激にアジテーションするのではなく、極限状況下の出来事だと声高にいいつのるでもなしに、どこにでも起りうる人間たちの「ドキュメント」「ものがたり」として、わたしたちの前に提出された。それらの著作はいまもわたしたちの世界を考える書としてここに置かれている。「人生には、すぐに忘れさってしまう事件も多いが、決して忘れることができない、いや、よりよき未来のために忘れさってはいけない事件もあるのだ。」(高杉一郎『スターリン体験』)。

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