メキシコ滞在中は北京オリンピックの渦中で、朝食時の食堂では、毎朝、TV画面がその中継をしていた。このホテルはビジネスマンとおぼしき客が多いのだが、彼らはほとんど画面に興味を示さない。ウエイター諸君はサッカー試合には仕事の手を休めて注目していたが、北島康介が金メダルを取ろうが水泳などには見向きもしない。わたしはTVからなるべく離れて座ってどちらも見ない。オリンピックにはまったく関心がないのだ。さて、きょうも壁画巡りである。
地下鉄イダルゴ駅から2号線でソカロへ向かう。メキシコ・シティの地下鉄はどこまで行っても全線2ペソだ。回数券を利用する。車内にはいろいろな物売りがいて、たとえばCD売りは大音量で音を鳴らしながら混雑した車内を移動していく。売り手は長い髪をアフロ風に編み込んだ黒眼鏡のお兄さんや視覚障害の初老の男性など。宝くじ売りもいて、これは中年の女性が多い、子連れもいる。1日に何度も乗った地下鉄で、宝くじが売れているのはときに見たが、CDを買っている人は皆無だった。
ソカロ駅に着く。ソカロはまちの中心となる広場のことで、大都市であろうが小さな村落であろうが、メキシコ全土のどのまちにもかならず一つある。改札口をでて地上へ上がればそこがメキシコ・シティのソカロだ（写真1〜2）。この広場は、アステカ時代、神殿に囲まれた重要な場所だった。1521年8月13日、アステカ最後の皇帝クアウテモクが征服者エルナン・コルテスの兵士たちに捕えられ、約200年間のアステカ帝国は滅亡した。そののち、征服者たちは帝国の建物を破壊したり埋め立てたりして、現在も残るスペイン風の建築物を築いた。メトロポリタン・カテドラル、国立宮殿などがそれである。
メトロポリタン・カテドラルの場所には、かつて、アステカ神話の最高神ケツァルコアトルの神殿が建っていた（写真3）。コルテスら侵略者たちは神殿を破壊し、その石材をつかってカトリック教会を建造した。この地の先住民は労働力としてつかわれた。それは、政治・軍事者とカトリック宗教者が結託して行なった、スペインによる、｢原｣住民の殺戮と「原」文明の破壊であった。国立宮殿（写真4）の場所には、アステカ時代モクテスマ2世の居城が建っていた。スペイン人たちはこれも破壊し、そこに植民地の本拠として宮殿を建設した。17世紀の大改築を経ていまのかたちになった、という。
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写真2 広場で遊ぶこどもたち |
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写真3 アステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿遺跡とメトロポリタン・カテドラル |
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写真4 国立宮殿 |
その国立宮殿にディエゴ・リベラの壁画『メキシコの歴史』がある。先住民の神話と文明と生活、スペインの侵略、メスティーソの誕生、スペインヘの隷属状態からの独立、そして、農民と労働者の蜂起による1900年代初期の革命へと、民衆の歴史が描かれている。中味（内容）、器（手法）ともに長大かつ巨大である。正面階段を1階から2階へ上がる踊り場と左右の壁面をつかって歴史の全体像が描かれていて（写真5〜7）、これを総論とすれば、2階回廊の壁面約半分には、各論ともいうべき、進行する歴史の部分が描かれている（写真8）。たとえば、それは、インディオの生活や労働（写真9）、伝統的な工芸品づくり（写真10）、市場の情景（写真11）など、先住民社会のディテールである。
わたしは、壁画の各場面を、メキシコの地方からやってきたとおぼしき老若男女の一団と付かず離れずのように見ていった。彼らのガイドの解説（スペイン語）がわたしにわかるべくもないのだが、丹念に見ていくその速度がほぼおなじなのである。親子連れのグループもいる。それを上回って多いのが、わたしのような外国からの見学者である。日本人御一行もいて、見ていくスピードは彼らがいちばん早い。
メキシコ革命時代（1910年〜40年）の初期にはじまり、20年代に隆盛していく壁画運動の目的は、当時、国民の大多数を占めていた、貧しく、教育を受けられず、文字を読めない農民や労働者に、メキシコ固有の歴史と伝統、革命の意義や民族意識などを伝えることにあった。1920年に文部大臣となった詩人で哲学者のホセ・バスコンセロスはこの目的のため、公共建築の壁面を若い芸術家たちに開放した。運動に参加した芸術家のうち、とくに有名なのがディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコの3人である。彼らの作品をたずねて、わたしの壁画めぐりはつづく。
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写真5 壁画『メキシコの歴史』階段正面部 |
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写真6 同・階段右側部 |
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写真7 同・階段左側部 |
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写真8 2階回廊部 |
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写真9 同・労働 |
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写真10 同・工芸品づくり |
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写真11 同・市場 |
