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眼の記憶08

第14回 映画四題/ハリウッドとマカロニ
2008.7.3

 メキシコへ行くことになり、メキシコ革命のことを勉強していたら、記憶の底から数本の映画が立ちあらわれてきました。前回につづいて古い映画の話です。メキシコ革命をテーマにした映画といえば、真先にうかんでくるのは、わたしが少年のころ観た『革命児サパタ』(エリア・カザン監督、1952年公開)です。農民から革命を経て大統領になり、敵の謀略により非業の死を遂げる、エミリアーノ・サパタ(1879年〜1919年)の物語。マーロン・ブランドが演じたスクリーンのなかのサパタが、ずっと唯一のわたしのサパタ像でした。この映画が、製作ダリル・F・ザナック、オリジナル脚本ジョン・スタインベック、監督カザンでつくられたと知れば、商業映画でありながら、当時のハリウッド映画としては特異な傾向映画でもあったことがわかります。もちろん、そういう知識は後年のものですが、そのとき定着したサパタ⇔ブランドのイメージは、サパタ本人の写真に接したのちになっても残像としてあります。(もうひとり、サパタの妻ホセファを演じたジーン・ピータースの美しさがいまも瞼の裏に留まっていますが、これについてはべつの機会に)。

 メキシコ革命のもうひとりの英雄パンチョ・ビラを主人公にしたハリウッド映画に、『戦うパンチョ・ビラ』(バズ・キューリック監督、1969年公開)があります。脚本をサム・ペキンパーが書いています(共作)。パンチョ・ビラにユル・ブリンナー、あの禿頭がウリの俳優が有髪貯髭で登場します。パンチョ・ビラ役だから当然とはいえ、見るほうには違和感がありました。飛行機をつかって反革命軍に武器を売るが、のちに革命軍に加担するアメリカ人のパイロットにロバート・ミッチャム。ビラの副官にチャールズ・ブロンソンという配役です。映画としてはこれという印象は残っていません。

 メキシコ革命を主題にした映画といえば、「マカロニ・ウェスタン」をはずすわけにはいきません。“メキシコ革命もの”と呼びたいほどたくさんの作品がつくられています。なかでも出色は、『夕陽のギャングたち』(セルジオ・レオーネ監督、1972年公開)と『群盗荒野を裂く』(ダミアノ・ダミアーニ監督、1968年公開)の2本です。ともにイタリア映画、イタリア人監督、イタリア人俳優(だからマカロニ)。しかも、音楽はあのエンニオ・モリコーネです。この人の音楽なくしてマカロニ・ウェスタンは語れません。『夕陽のギャングたち』は、なんと毛沢東へのオマージュ(革命論の引用)からはじまります。「革命とは詩をつくることでも刺繍をすることでもない、革命とは暴力である。」。この文言の出典全文をいまは詳らかにしませんが、わたしは、詩をつくることも刺繍をすることも革命だと考えています。

 メキシコ革命を主題にした「マカロニ・ウェスタン」のイチオシは『群盗荒野を裂く』です。監督=ダミアノ・ダミアーニ、主演=ジャン・マリア・ボロンテ、ルー・カステル。この映画の主人公はメキシコ革命軍に加担する山賊です。チュンチョ(ジャン・マリア・ボロンテ=革命軍に武器を売る盗賊団の首領)とビル(ルー・カステロ=盗賊団に加わったアメリカ人)は共闘して政府軍と戦います。このテの映画にはめずらしく民衆が登場します。ビルはじつは、はじめから革命軍のエリアス将軍暗殺を狙っていて、それに成功した賞金稼ぎだったことが最後にわかります。チュンチョはビルを撃ち殺し、ビルの持っていた賞金をルンペンプロレタリアートの青年にあたえます。「この金でパンを買うな。この金でダイナマイトを買え!」と。これが映画のラストシーンです。封切られたのは68年、パリの青年たちは石畳をはがし、日本の学生たちはゲバ棒を持ち、世界中でヴェトナム反戦と民衆の異議申し立て運動が激発した時代です。

 ところで、メキシコ革命を主題にしたメキシコ映画(製作・スタッフ・キャスト)を観たことがありません(わたしの不勉強もあって)。もちろん、製作されていないわけはなく、日本国内で公開されていないだけでしょうが(わたしの情報不足か)。自国の革命を自国の映画人がどのように表現しているか、ぜひ観てみたいものです。

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