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眼の記憶08

第11回 記憶のリレー
2008.5.23

 中国・四川大地震が発生してから1週間以上が過ぎた。中国地震局は、当初発表したM7.8をそのごM8.0と訂正した。日を追って被害の惨状が露になり死者負傷者行方不明者の数も増えつづけている。TVの映像を見、新聞の記事を読んでいると、どうしても、1995年1月17日に発生した阪神大震災が二重写しでよみがえってくる。震源地である四川省アバ・チベット族チャン族自治州ブンセンの地元TV局が撮影したニュース映像を数日まえに見て、よりいっそう阪神大震災を喚起させられた。

 その映像は、ブンセン市街地の地震発生10分後から数時間後までの様子を捉えたもので、家々やビルから屋外へ飛び出してきた住民の姿を写しだしていた。一瞬にして変化してしまったまちの光景(画面の外からはゴーッという音が聞こえていて、これは近郊の山が崩れて土砂が滑落する音であるとの説明があった)。なすすべなく立ちつくし茫然と周囲を見まわす人びとの表情。地震直後の状況にすぐさまは対応できない被災者の動作。この映像を見て、わたしがとっさに思いうかべたのは、阪神大震災発生当日数時間後の、神戸市長田区野田北部地区にある大国公園を写した1枚の写真である。その写真でも、第1次避難場所となった大国公園に集まった人びとは、着の身着のまま、茫然自失の態で、迫りくる火の手を見やっていた。その動画と静止画はともに、瞬時に、まさに暴力的に立ち現れた理不尽な状態への無念さをつたえている。

 四川と阪神の大震災に共通して厳然たる事実を想起させるもう1枚の写真。それは、倒壊した家屋の瓦礫と、ほとんど無傷のように建つ建物が、同一フレーム内に写った写真である。そこに付けられるキャプションは「命運を分けたのは耐震対策」となるだろう。建物の耐震性が、わたしたちの耳目に親しくなったのは阪神大震災以降である。中国では、1976年の唐山地震(死者24万人)を機に見直されてきたというが、その基準は日本に較べてまだまだ緩く対策は不徹底だったと聞く。日本に較べてというが、その日本でもいわれているほど耐震対策が足りているわけではない。なぜ耐震対策が進まないのか。それは意識の問題であろうか。それもあろう。アスハワガミの大地震と思いつつも‥‥。しかし、大きな理由は、中国でも日本でも拡大する「生活格差」にあるのではないか。自然災害は均しく人を襲うが、富者の被害は微小で貧者の被害は甚大という構造は古今東西かわっていない。生活格差が被害格差を呼ぶ。せんだって発表された直下型地震の最悪被害想定では、首都圏の死者1万3000人、近畿圏4万2000人、名古屋圏1万1000人とある。「生活格差」を越えて災害の教訓はいかされねばならない。

 大きな自然災害があると、阪神大震災の被災地KOBEの住民はどんなアクションを起すだろうか、と神戸新聞電子版にアクセスするのがいつのころからかの習いになった。5月20日付の電子版に、四川大地震に直結するものではないが、次の記事があった。「災害語り継ぎサミット開催へ 2010年神戸で計画」という記事だ。阪神大震災から15年となる2010年1月に、内外の災害被災者が経験を後世につたえる「世界災害語り継ぎサミット(仮称)」を神戸で開こう、というものである。以下、同記事の部分引用。「研究者や災害展示施設の関係者らでつくる国際組織『世界災害語り継ぎネットワーク』(事務局・神戸市)が計画。今年十一月、米・ニューオーリンズ市で『博物館と災害』をテーマに開かれる国際会議にメンバーが出席、各国にサミット参加を呼び掛ける。/同ネットワークは、阪神・淡路の教訓を伝える『人と防災未来センター』に事務局を置き、二年前に発足。トルコ、イラン、中国などの研究者、雲仙岳災害記念館(長崎県)など展示施設の関係者ら、十五カ国・約五十人がメンバーとなり、情報を交換している。」「こうした交流を踏まえ、『語り継ぎサミット』を計画。語り部活動、災害現場の保存、展示施設の整備などを行っている被災地に、取り組みを報告してもらい、国内外に発信する。一月十七日前後に、人と防災未来センターで実施する予定。」。

 わたしたちの命のために、語り継ぎたいことはたくさんある。

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