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コラム「Circuit 06」青池憲司

第6回 春のたより
2007.3.6
いかなごのくぎ煮
▲いかなごのくぎ煮

 春の訪れを告げるたよりがことしも被災地KOBEの野田北部から届いた。「いかなごのくぎ煮」である。ことしは冬の季節の根性がなく、ずぶずぶと春の季節を迎えてしまった。いや、なさけないのは季節ではない、人間の地球環境にたいする態度である。そんな気分でいたところへのKOBEからの到来物は、ことのほかうれしく春を感じさせてくれた。わたしがはじめていかなごのくぎ煮を食べたのは、1995年のKOBEだった。阪神大震災があって、被災地の人びとは、ことしはいかなごが獲れるだろうかとやきもきし、くぎ煮を炊く日を心待ちにしていた。いかなご漁が解禁となり、播磨の海から収穫され、家庭に届き、台所で炊かれ。食卓に上ったときの、人びとのよろこびは一入(ひとしお)であった。そのとき、わたしたち撮影隊もくぎ煮のおいしさと、みなさんのよろこびのお相伴にあずかった。そして、ことしもKOBEの春を分けていただいた。

 おなじ日(4日)、『新宿区榎地区地域恊働復興模擬訓練』(新宿区/東京都/早稲田大学都市・地域研究所共催)の第5回ワークショップ「榎地区の事前復興まちづくりを考える」にでかけて講師を務めた。参加者は各町の役員やボランティアなど約50人。榎地区地域恊働復興模擬訓練の第1回は「ガイダンス」で、『野田北部・鷹取の人びと』第14部証言篇の上映とオリエンテーションがあった。第2回は「まちあるき」。第3回は「榎地区の被害想定と復興めくりめくりゲーム」。首都直下地震で生じる人的物的被害を想定したうえで、その被害想定にもとづいて作成された仮想のシナリオを疑似体験するゲームである。第4回は「まちと生活の再建に向けて復興の体制を組んで準備する」。野田北部まちづくり協議会の河合節二事務局長(せっちゃん)が長田から来京、「野田北部の復興まちづくり〜被災から復興まで〜」と題して話した。わたしも傍聴したが、体験を過不足なくつたえて説得力十分であった。せっちゃん、話芸が上達したね。

ワークショップ会場
▲ワークショップ会場

 第5回は連続ワークショップの最終回である。わたしは、区画整理事業にたいして野田北部の住民がどのように対応したかをテーマに映像をつかって話した。記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部からテーマに即したシークェンスを選んで抜粋し、映像とトークで構成した。それらの映像は12年まえの被災地KOBEの出来事であるが、しかし、首都圏に住むみなさん(とわたし)にとっては明日の出来事の映像である、と話した。きのうのKOBEはあすのTOKYOである。震災からの復興は、わたしたちには明日からの仕事なのである。そのために、いまから、復興まち(地域)づくりを考えておこう、というのが主催者の意図である。5回すべてに参加した榎地区の住民さんから、「なあに、こんなことやって何になるんだ、机上の空論だよ、と当初はおもっていたが、さいごまで出席して考えをあらためた。事前復興訓練やってよかったよ」という声があった。「災害後の活動のシミュレーションの大切さを実感的に納得した」という意見もあった。こうしたワークショップが町内会の代表者レベルから大衆レベルまでひろがっていくにはまだ時間がかかるだろうが、そこまでお付き合いしたいと、わたしは考えている。

 つぎの日(5日)の朝、あつあつのごはんにくぎ煮をたっぷりのっけて食べた。うまかった。お茶を飲みながら新聞を開くと歌壇に、「いかなごの解禁近しスーパーに並ぶ粗目糖と濃口醤油」という神戸の女性の短歌が掲載されていた。粗目糖はざらめとルビがふってある。いまごろは、この作者の食卓にもくぎ煮が上がっているであろう。野田北部・鷹取のあの人この人の顔がうかんできた。

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