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写真1 ウランバートル郊外の丘陵にあるチンギスハーン彫像 |
8月4日。はれ。03時50分起床。洋子さん、ひとみさんにおわかれして、予約しておいた車でチンギスハーン空港へ。06時25分、OM223便は、ウランバートル(UB)から北京へ向けてTake
off. 08時35分、北京首都空港着。トランジットの待ち時間が中途半端なので、入国して北京市内へでるわけにはいかない。空港内をぶらぶらしたり本を読んだりうとうとしてすごす。つれあいと吉郎少年は、それぞれにそれなりの時間ツブシをしているようだ。ようやく、NH160便のボーディング時刻になって搭乗がはじまるが、そのときを待っていたかのように、窓外がとつぜん真っ暗になって叩きつけるような雨が降ってくる。積乱雲の発生で空中の状態がひじょうによくない、とアナウンスがある。YOKOZ'S TRAVEL(トラベル)のTROUBLE(トラブル)はまだ終っていないのか。
1939年の同月同日。ハルハ河(ノモンハン)の戦場。独立野砲兵第一連隊第一中隊上等兵・田中誠一さんの日誌。
「八月四日 来る日来る日を呑気に送り、戦場もこんなに楽しいものかと思ふ。然し前線歩兵の辛苦を偲べば、片時もこうしては居られない。/今日、有力な敵部隊は我が側方のノロ高地より、ハロンアルシャンに通じる地点を横断し、包囲の恰好にて進撃し来たり、之に応じて我が部隊は直ちに陣地変換し、夜陰に至り敵を待つ。(略)」。 第八国境守備隊(長谷部支隊)工兵軍曹・西銘太郎さんの日記。「八月四日 猛烈な署気で閉口する、百二十度(摂氏四十度か)はあろうか。蚊軍の爆撃もまた困りものだ。若干夜に入り寒くなった。/兵隊たちは飯盒をもって集り、冗談を叩き合う。まだ戦場に新しいせいか、過去のことは想記しないらしい。兵隊は無邪気な子供と同じだ。だんだん神経が散漫になっていく。/敵弾の落下は今日も激しい。」
伊藤桂一さんの戦場小説『静かなノモンハン』(講談社学芸文庫版)から。
「八月の五日までは、ここで、比較的のんびりと日をすごしています。排便の時も、円匙をもって壕外へ出て、適当な場所を選んで穴を掘って用を足し、あとを埋めておけばよかったのです。夕方からは蚊が出ますので、ヨモギをいぶして、そのけむりが尻のあたりにくるように仲間にあおいでもらい用を足す、という滑稽なことをやりました。ここの蚊は、日本の蚊と違って大きく強く、皮膚にとまったのを、指でつまんで離さぬと離れないのです。(略)休養間は、みな、シラミ退治にも多忙でした。/『ハルハ河で水浴ができたらなあ』/というのが、だれもの願いだったのです。ハルハ河は、とてもきれいだし、魚も泳いでいます。日本のイワナによく似た魚が多いのです。(『二の章・小指の持つ意味 小野寺衛生伍長の場合』)
2007年8月4日。15時、定刻より45分遅れで北京首都空港を離陸したNH160便は、関西国際空港をめざしている。わたしがハルハ河(ノモンハン)の戦場に滞在したのはほんのわずかな時間であった。7月30日からそこへ近づいていき、31日の夕方にその地に立った。8月2日の朝にはその地を発ちそこから離れてきた。いまは、帰国の機中である。身体的にはどんどんハルハ河から離れているのだが、きもちは時・場の往還を繰り返している。その間、わたしの旅にはつねに本があった。この『日録』にひんぱんに引用させていただいた日記と著作の数々である。旅にでて、なお書をすてることができない。わたしは、本読む旅人にして旅する読書人、引用者である。そのような旅もそろそろ終りになるが、ハルハ河(ノモンハン)の戦場では、戦闘行為を停止するまでに、さらに40余日がついやされている。だから、この時・場の往還もまだしばらくつづくだろう。そして、ハルハの地にもういちどわたしは立つことになるだろう、そんな予兆がいまのわたしにはある。
18時25分、関西国際空港着。つれあいと吉郎少年は国内線を乗り継いで羽田へ向かう。
わたしは、ふたりとわかれて神戸へ。空港バスが阪神高速湾岸線を走っていくと左手上空に花火が見える。港コーベの花火大会である。三宮で電車に乗り換え鷹取へ。野田北部は夏まつりの真最中であった。大国公園に櫓が立ち、張り渡された提灯が明るく揺れている。近づいていくと、盆踊りの輪のなかに友人知人たちの顔があった。
「(略)戦は何時迄続くのやら、何時になったら片付くやら、進退極まった此の国境線。
敵と対峙する事に決し、冬籠りの準備も大忙し。穴を掘り資材を集め家を作り、草を刈り木を切り冬籠りに備う。零下五十度の酷寒に果して対応出来る事か? 我等の行方は何処なりや。」(独立野砲兵第一連隊第一中隊上等兵・田中誠一さんの日誌)。
【『ハルハ紀行日録』は今回で終了しますが、上述したようにハルハ河戦争(ノモンハン事件)は、わたしのなかでは未完です。稿をあらためて、そのごをたどります。】
参考・引用させていただいた著作
- ノモンハン会・編『ノモンハン戦場日記』(新人物往来社)
- 半藤一利『ノモンハンの夏』(文春文庫)
- 伊藤桂一『静かなノモンハン』(講談社学芸文庫)
- シーシキン他『ノモンハンの戦い』(田中克彦・編訳/岩波現代文庫)
- 津本陽『八月の砲声』(講談社)
- フリー百科事典『ウィキペディア』
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