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コラム「Circuit 07」青池憲司

第46回 ハルハ紀行日録(22)/チョイバルサンからウランバートルへ
2007.12.5
写真1 チョイバルサンの町なかで
写真1 チョイバルサンの町なかで

 8月3日。はれ。05時30分起床。ホテルのまわりを散歩する。ロビーで仕事がえりの娼婦の姿を見る。07時すぎ、空港へ向けて出発せんとしたとき、洋子さんの携帯に航空会社EZNISから電話が入り、フライトの時間が13時に変更されたという。おそれていたことがおきた。洋子さんから、モンゴルの国内線は変更や欠航が多いので、余裕をもってスケジュールを組むようにといわれていた。じつは、明日早朝の便で日本へかえることになっている。若干の危険ありを承知でよんどころなくそうしたのだが……。航空会社EZNISは国内の3路線を飛行機1機でまかなっている、と聞いた。だから、どこかで不都合不具合が起きると連鎖反応で影響がひろがっていく。遅れが欠航になるなんてしょっちゅうよ、と洋子さん。おどかすなよ。ウランバートル〜チョイバルサン線は月・金の週2便である。もし欠航となったら明日日本へかえることはできない、それどころかウランバートルへもどることもできない。

 さてどうする、といっても待つしかない。廊下のソファにひっくりかえって読書。おなじ境遇の同宿人はいるもので、かれらはすっかり腹を決めてしっかりアルヒを呑(や)っている。時間つぶしはこれにかぎるとばかりに大酒盛りである。中のひとりが部屋からでてきて、この程度の遅れはいつものことで驚くようなことじゃない、心配するな(とたぶんいったのだと思う)、アルヒのグラスをわたしにつきだす。おいおい、まだ朝の9時だぜ。わたしとしてはめずらしいことだがことわった。男は、ふん、この軟弱者め(といったかもしれない)、と引き上げていった。日・モ友好成立せずである。そこへまた電話。フライト時間はさらに遅れて15時30分になる、と。洋子さんの顔色がすこしはかわるかとおもいきや、呵々大笑していわく、「わたしは、日本からくる友人たちを案内してモンゴルのあちこちへ行くので、YOKO'S TRAVEL(トラベル)と名乗っているけど、こんどの旅ではいろいろあって、これじゃYOKO'S TROUBLE(トラブル)だね」。いやいや、あなたのせいではありません。

写真2 チョイバルサンの集合住宅
写真2 チョイバルサンの集合住宅

 昼飯を食べにいってビールを飲み、チョイバルサンのまちを歩く。景色は晩夏の気配である(写真1)。こんな集合住宅もある(写真2)。前庭で遊ぶこどもの姿といい、日本の公団住宅の雰囲気である。これは、社会主義の時代にこのまちに滞住したソ連人の住居だった。彼らが去ったあとモンゴル人がつかっている。ホテルにもどり、そのご時間変更の電話はないので空港へ向かう。われわれが乗るべき飛行機の姿はない。ウランバートルからまだ到着していないのだ。まあ、待つしかない。空港建物の玄関前を牛が5、6頭歩いている。わたしも牛たちといっしょにぶらぶらしていると機影が見えた。到着を確認して、送ってきてくれたバットエンヘさんと別れる。
写真3 ヘルレン川
写真3 ヘルレン川
「見事な運転でした。また会いたいですね」「お気をつけて」。16時10分、EZA910便は6時間50分おくれでチョイバルサン空港を離陸。上空から、このまちを流れるヘルレン川が見えた。(写真3)。

 この上空から約350キロメートル東方、ハルハ河の戦場の1939年8月3日。第八国境守備隊(長谷部支隊)陸軍工兵軍曹・西銘太郎さんの日記。「八月三日 今日も一日中、砲弾の轟音で暮れた。敵重砲火の威力はちとばかりすばらしい。敵機は友軍機のいない時は、仲々大膽な行動に出る。/長谷部支隊方面が猛烈な地上掃射と爆撃をくった。機数およそ三十位、友軍機はなかなかやって来ない。二十分位して友軍機あらわる、敵機はいち早く逃げて姿を消す。」。野砲兵第十三連隊第九中隊上等兵・浅野義行さんの日記。「八月三日 晴 二時頃、第一線に敵の逆襲あり、相当な激戦が繰り返された模様なり。/早朝よりずっと起きて、通信連絡を取る。昼間は至って平穏なり。(略)」。独立野砲兵第一連隊第一中隊上等兵・田中誠一さんの日誌。「八月三日 (略)ノロ高地への陣地変換にともない、段列の伝令として残る。何も用はない、身の置き所に苦しむ所だ。寝ては起き、起きては寝たり食するの外何の楽しみもない。子供心にかえるか、荒涼たる草原の中で。」。

写真4 観覧車から見たウランバートル市街
写真4 観覧車から見たウランバートル市街

 緑あるいは黄色、茶色と変化する草原約700キロメートルを飛んで、17時45分、ウランバートル(UB)着。ここでガル青年とお別れ。予定どおりの時間にかえりついていれば、彼のおじいさんを訪ねて、第二次大戦時の話を聞くことにしていたのだが、それができず残念。帰国の準備。スーパーマーケットへでかけ、神戸と大久保の友人たちの土産にアルヒを買う。近くの遊園地で観覧車に乗る。UBのまちが一望である(写真4)。わたしには知らないまちで観覧車を見かけると無性に乗りたくなる癖がある。7月27日に初見してからの望みが叶った。洋子さん宅で、この旅最後の酒宴。NHK国際放送で、小田実さんの死を知る。7月30日に亡くなられていた。わたしにとって、すばらしき同時代者のひとりであった。





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