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コラム「Circuit 07」青池憲司

第37回 ハルハ紀行日録(13)/草原をゆく
2007.10.5
草原と道
写真 草原と道

 7月31日。プルゴンは快晴の草原をひた走る(写真)。草原といっても砂地あり、礫地あり、その上の植物群も、丈の短い茶色っぽい草や黄色っぽい草、緑色の草と一様ではない。それらが入りまじってつづいている。あるいは、進むにつれて入れ替わりいれかわりあらわれる。起伏は、微妙にあるが、ほとんどないといってもさしつかえないほどの起伏である。遠くに、それが、どれほどの距離にあるのか見た目ではわからないが、山嶺のつらなりが見える。東へ向かっているわれわれの左手に見えるのだから方角は北である。地図で見るかぎりその方面に山々はない。はて、あるいは、遠い雲か。あれは蜃気楼ではないの? とひとみさんがいう。そうか、そうかもしれない。砂地の暑い地面に接した空気が熱せられ、下方の空気の密度が低くなったときに出現する下位蜃気楼というやつだろうか。

 山々が蜃気楼であれば、それもまたよし。大地をプルゴンに揺られているうちに、むかし観た映画の記憶が陽炎のように立ち上ってくる。フセヴォロド・プドフキンの監督した『アジアの嵐』である。モンゴル革命をテーマにしたこのソヴィエト映画は、1928年に製作されたサイレント映画である。そのご、49年に音楽サウンド版がつくられ、わたしは、80年代中頃にフィルムセンターかソヴィエト映画祭でこれを観ている。映画の冒頭、「遠い東のはてに、広い国がある。その国の山々は高く、草原は広く、川は渦をまいてながれている。そして、その道は、はてしなくつづいている。」という字幕が出てくる。この詩的なコメントに、まず、心が躍った。そして、一望千里さえぎるものとてない大草原や吹きすさぶ砂嵐、壮麗なラマ廟で行なわれる仮面舞踏などの鮮烈な映像、ロング・ショットとクローズ・アップの大胆なモンタージュが、いまでもありありと眼前にうかんでくる。わたしのモンゴル観の原イメージになっているといってもよい。

 映画の話をもうすこしつづけたい。『モンゴルの子』という作品がある。1936年につくられ、モンゴル人によるモンゴル映画史上初の作品とされている。わたしは、これを『モンゴル演劇・映画の今ム歴史と未来を見据えながら』というモンゴルの演劇と映画の研究講座で観た(06年6月20日〜21日、早稲田大学・井深大記念ホール)。その感想は、コラム「Circuit 06」の第16回第17回に書いたが、そこから引用する。「日本語の字幕がないので微妙な機微は判らないのだが、かなり丁寧な【あらすじ】があってストーリーは理解できた。映画は、恋あり、歌あり、活劇あり、颯爽と草原を走る人馬あり、ナーダムの相撲大会あり、モンゴルを侵略せんとする日本軍人あり、それと手を組み『日本がモンゴルを統一すべきだ、日本万歳』と叫ぶ売国奴あり、封建貴族あり、嘘つき中国人商人あり、狡猾なラマ僧あり、と盛りだくさんな状況設定と人物配置の娯楽大作である。」。モンゴル映画史が自国作品と記してはいるものの、「製作がソ連のレン・フィルム、監督ほかのスタッフはすべてソ連邦映画人、出演者はモンゴル人という編成からみても、ソ連主導の映画であることは明らかだが、それはそれとして、プドフキンの監督した『アジアの嵐』の製作が28年であることを考えれば、この映画のソ連邦映画人のレヴェルは低い、といわざるをえない。とはいえ、映画は時代の風俗・生活・世態・人情を映している。当時のウランバートルの風景やモンゴル人の暮しの様子、37年の粛清以前のラマ教寺院など、貴重な映像が見られて、たのしんだ。」

 『アジアの嵐』はモンゴルを舞台にしたソヴィエト映画であり、『モンゴルの子』はモンゴルを舞台にした半モンゴル(ソ・モ合作)映画である。そのほかにもモンゴルを舞台にしたハリウッド映画やドイツ映画、日本映画などをたくさん観ているが、生粋のモンゴル映画はほとんど観ていない。わたしのモンゴル像は、多く、他国の映画人が描いたイメージで成立していたといえる。気をくばっていればモンゴル映画を観る機会はあった(ある)のに怠慢である。ハリウッド映画でいえば、ディック・パウエルの監督した『征服者』(55年製作)は、ジョン・ウェインが成吉思汗(ジンギスカン=当時は漢字でこう表記した)を演じたこともあって印象ぶかく記憶している。共演女優はスーザン・ヘイワード。成吉思汗=ジンギスカン=チンギスハーン映画はじつに多民族多文化圏でつくられていて、ざっと見まわして米・中・日のつぎのような作品があがってくる。

 ジョージ・シャーマンの監督した『成吉思汗』(51年製作)は、モンゴル軍に攻められるサマルカンドの美姫に扮したアン・ブライスが美しかった。成吉思汗(デヴィッド・ファーラー)はこの都を陥せず軍を退く。その画面にかぶってながれた、「サマルカンド滅ぼさんとするものは自ら滅ぶ」というナレーションをおぼえている。ヘンリー・レヴィンの監督した『ジンギスカン』(65年製作)ではオマー・シャリフが主人公に扮した。中国映画にも、ジャン・シャンチーの監督した『成吉思汗』(87年製作)がある。未見だがどんな成吉思汗になっているのだろう。日本映画では、牛原虚彦と松田定次が監督した 『成吉思汗』(43年製作)があり、主人公役は石黒達也。作品レヴューに、「中国大陸を征服した成吉思汗を描くことで戦意の昂揚をはかった国策映画。」とある。テレビ朝日系でON AIR(80年)された連続TVドラマに『蒼き狼 成吉思汗の生涯』がある。井上靖の原作で、監督は森崎東と原田隆司、成吉思汗は加藤剛である。中国政府の協力をえて内モンゴル自治区にロケをした。近作では澤井信一郎の監督した『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(07年製作)があり、森村誠一原作、主人公役は反町隆史である。

 それぞれの作品が、その時々のお国の事情に合わせ、かつ、大衆の嗜好を誘導するために、成吉思汗=ジンギスカン=チンギスハーン像をつむぎだし、利用しているのがおもしろい。本家モンゴルではどうか。社会主義時代はチンギスハーンの名を口にすることはタブーだったが、民主化直後の92年に『チンギスハーン』が製作されている。ベグズィン・バルジンニャム監督、アグワンツェレーギン・エンフタイワンのチンギスハーンで、上映時間4時間の大作である。社会主義時代に否定封印されていた“国民英雄”をどのように復活させたか、民主化以後のモンゴル社会を考察するうえで他国の作品とくらべてみたい。――――――ともあれ、歴史上のヒーローでチンギスハーンほど映画産業(利潤の追求)に貢献している人物は数少ないであろう。

 よしなしごとにふけっていると車が止まった。トイレ休憩である。といっても大草原の真只中、サービスエリアがあるわけでなく、各自、ちょっとした窪みや丈の長い草むらを利用して用を足すのである。むかしの歌がおもわず口をついてでた。草っぱらのずっと向こうのあの山高いよ……ゆくてには大砂塵……





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