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コラム「Circuit 07」青池憲司

第35回 ハルハ紀行日録(11)/チョイバルサンにて
2007.9.25

 

写真1 ハルハ河博物館と庭に置かれた当時の機関砲
写真1 ハルハ河博物館と庭に置かれた当時の機関砲

 7月30日。チョイバルサン市内。酷暑はつづいている。天からの直射は日本の比ではない。ただ、湿気がすくないのでその分たすかる。前稿のハルハ河戦勝の碑から「ハルハ河博物館」へ向かう。博物館といっても、ハルハ河戦争のソ連・モンゴル軍の指揮を執ったジューコフ司令官(のちに元帥)が、1939年の6月から9月にかけて住んでいた家をそのまま博物館にしたものである(写真1)。39年の6月〜9月といえば戦闘が日々酷烈に展開していた時期である。チョイバルサンとハルハ河の戦場は約350キロメートル隔たっている。それを考えれば、この家にジューコフがいることはすくなく、司令官のじっさいの宿舎は前線近くにあったのだろう。地元の人にジューコフの家と呼ばれる博物館は閉っていた。わたしたちが柵のまえでわぃわぃやっていると、隣の家から老婆がでてきて、きょうはお祭りで管理人が田舎へでかけてしまったから入れないよ、という。通訳のガル青年とドライバーのバットエンヘさんが、それでもなんとかならないか、と老婆に話をする。われわれもここであきらめるわけにはいかない。そんなところへ黒いサングラスをかけた中年男があらわれて、おれが鍵をあずかっている、開けてやるから入れ、という。

写真2 ジューコフ司令官(左からふたりめ)
写真2 ジューコフ司令官(左からふたりめ)

 小さな家である。全室をつかって、ハルハ河戦争当時の写真や絵画、ジオラマなどが展示されている。ジューコフ司令官をかこんだ写真が多い(写真2)。戦闘場面もある。日本軍からの戦利品も、無線機や兵士の装備軍装など何点か陳列してある。このようなものを、いま、だれが見にくるのだろう。何者なのか判然としない黒眼鏡のおっさんに訊いたが肩をすくめるだけだった。おまえたちみたいな物好きなヤツがときどき、といいたかったのかもしれない。けっこう興味深げに展示資料を見ているガル青年に、ハルハ河戦争のことを問うと、「歴史の時間に教わった」とひとこと。ガル青年のおじいさんは戦争に行ったそうだ。ハルハ河戦争でないことはたしかだが、どこの戦場か知らないと彼はいう。推測するに、それはソ連・モンゴルと満州の国境ではなかろうか。かつて「日ソ中立条約」というものがあった。知られるように、1941年に日本とソ連の間で結ばれた条約である。両国の相互不可侵とともに、満州国とモンゴル人民共和国の領土保全と相互不可侵もうたわれていた。45年8月8日、ソ連は同条約を破棄して対日参戦した。もしかしたら、ガル青年の祖父はそのときソ・モ軍の兵士として国境にいたかもしれない。ひんやりした歴史の室内から外へでると、あいかわらずの日射しのなか、さきほどの老婆がまだ表にいて、立ち去るわれわれに手を振ってくれた。

写真3 ザハ(市場)外景
写真3 ザハ(市場)外景
ザハ(市場)
写真4 同・内部
写真5 買い物をする吉郎少年(右)と洋子さん
写真5 買い物をする吉郎少年(右)と洋子さん

 まちでいちばん大きなザハ(市場)へでかけ、明日からのハルハ行きに備えて果物やパン、キャンデー(モンゴル人は飴がすきで、ちょっとした手みやげがわりになる、と洋子さん)などを買いこむ(写真3〜5)。水は市場では買うな、スーパー・マーケットで買え、とガル青年がいう。これは当地に住む彼の知り合いの忠告だという。ザハで売っている水はボトルとラベルはそのようであっても、なかみはミネラル・ウォーターでないものがあるという。くわばら。まちなかはすっかりお祭り気分で爆竹を鳴らしたりしている。彼らは中国系の人たちだろう、とガル青年がいう。チョイバルサンはドルノド(モンゴル東部)では中国国境にいちばん近い都市である。1か所だけ開かれている国境のチェック・ポイント行きのミニバスがでている。ただし、外国人の通行は禁じられているから、わたしたちがその地点から中国へ入ることはできない。昼食は、ちょっとオシャレな(卓と椅子がぶっきらぼうに並んでいるだけのゴアンズという大衆食堂ではなく)“洋風装飾”のレストランで摂る。ビールとロシア料理風の“洋食”。この店にはなんとエアコンがついている。モンゴル旅行ではじめての体験である。

 ガン・ヘルレン・ホテルにもどり休憩。部屋にエアコンはないがよく風が通るのできもちがいい。その風に吹かれながらみんな昼寝。わたしはもういちど通りへでてみたが、人っ子ひとり歩いていない。まち全体が熱波のなかでまどろんでいるようだ。部屋にかえってノートの整理をしながらうとうとする。吉郎少年はよく眠っている。チョイバルサンには旧ソ連軍の基地があったことはすでに書いたが、近郊でウラン鉱石が出たこともあって、軍人だけでなくロシア人技術者や労働者が多く定住していた。鉱石の運搬のために鉄道も敷かれた。しかし、そのレールは国内には向かわず、国境を越えてシベリア鉄道と直結している(いまも稼働しているようだが旅客営業はない)。ウランの採鉱活動はソ連側にコントロールされモンゴル人でさえ詳細を知る人はすくないという。1990年のソ連崩壊後、彼らは撤退し、現在、チョイバルサン近郊でのウランの生産はないそうだ。

 ホテルでの夕食後、みんなでまちへでる。夜気はさすがに涼しい。所どころに街灯が立つストリートをぶらぶら歩いていく。街灯と街灯の間にあらわれる自分の影を踏むように行くと広場があった。いい風が吹いている。老若男女、大勢の人が集って思いおもいに談笑し、こどもたちは走りまわっている。彼らも夕涼みなのだろう。旅の途中でこういう情景に出会うと無性にうれしくなる。その土地のなにかに触れたような気分になる。わたしたちも、しばし、その情景のなかに溶け込ませてもらった。





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