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コラム「Circuit 07」青池憲司

第33回 ハルハ紀行日録(9)/アルガラントからウランバートルへもどる
2007.9.15

 

写真1 草原の馬群
▲写真1 草原の馬群
写真2 駱駝と運搬人
▲写真2 駱駝と運搬人

 7月29日。薄曇。ジリミーン・ツァガン・ヌーラ・ツーリスト・キャンプ滞在の2日目。朝、草原を走る馬の群と駱駝を見る(写真1、2)。駱駝は多く荷物の運搬に使われている。午前中、同行3人は乗馬トレッキングにでかけた。(訂正をひとつ。前回コラムで「指導先導はオユンさんと彼女の旦那である」と書いたが、彼女の旦那というのはまちがいで、ドルマーとオンドラーの父親だった)。わたしはひとり残ってぶらぶらとツーリスト・キャンプの周りを歩く(写真3)。午後、オユンさんをはじめ、こどもたち、スタッフ全員の見送りを受けてアルガラントを出発し、もうもうとあがる土ぼこりの土漠のような道を走って、ウランバートルへもどった(写真4)。道中、雨が数回パラッときたが、大地を潤すほどではなかった。

写真3 草原とわたし
▲写真3 草原とわたし
写真4 車は土ぼこりをあげて疾走する
▲写真4 車は土ぼこりをあげて疾走する

 68年まえのきょう、ハルハ河の戦場。成澤利八郎・砲兵一等兵は『従軍日記』に書く、「七月二十九日 土 晴 晴れて美しい星の明け方両軍は一時停戦の様に静かなり(略)」。しかし、上空では「両軍戦闘機が一騎打ちの空中戦を展開す。敵味方入り乱れての肉弾的トンボを見る様、両軍は手に汗して空の彼方の高等飛行を見守るのみ。五分、十分、敵はやがて算を乱して逃げかけたり。(略)朝から手紙の発信が許可される。(略)家、役場、近所の家宛に書く。(略)」。野砲兵上等兵の服部信房さんは『事件日誌』で、「(略)今日ハ出動以来、第二回目ノ洗濯ヲシタ。気持ちガ良イ。故郷ヘモ便リヲ出セルヨウニナッタ。早速書コウ。(略)」。べつの日付であるが、野戦重砲兵軍曹の榊原重男さんは『陣中日記』で、「(略)今日内地への通信が許可になった。防諜上いろいろ制約はあるにしても、兎に角手紙を出せることは何よりも嬉しい。何ものにも代え難い。部隊名は『満州国興安北省ノモンハン野戦郵便局気付・・・』だ。これが書ければ言うことなし。(略)」。

 野戦重砲兵一等兵の長野哲三さんは『戦場日記』で、「七月二十九日 土 晴、暑し
(略)保健体操後砲側の整備。(略)大分落着いて贅沢になった所為か、朝食を煖(温)めてみた。煖かい物は体にも好く甘い。(略)夏のキャンプ生活みたいなものだ。其の後別に用もないので頭を刈り合った。陣中の理髪も愉快なもの、初めて持つバリカンも一生懸命である。(略)日中は全く暑い、壕中も暑いので火砲の陰に、浮田と共に寝る。十二時より五時半まで熟睡す。二人で氷、アイスクリーム、西瓜、小豆、アイス等を思い出して語り合う。(略)その後予備陣地の穴掘り、十一時半完成。月下の作業中、話は飲食物の事許り、思い出しては唾を呑む許りである」。手紙と食べ物は陣中のなによりのたのしみであった。兵士は、ほんの寸日「夏のキャンプ生活みたいな」ときをすごすが、ソ連・モンゴル軍は8月攻勢を準備しつつあった。

 洋子さん宅への帰着後、彼女とひとみさんは知人の歓迎会にでかける。われら3人はまちへ食事にでる。ビールを飲み、牛肉とヤサイの鍋料理(けったいで半端なしゃぶしゃぶ風)を食べていると、ウェイターが、きのう中田ヒデがきたよという。わたしは興味がないので聞き流したが、そして、朝青龍が帰国していることすら知らなかったが、いま思えば、例のサッカー事件はすでに起きていたのだ(わたしは日本にかえってからそれを知った)。レストランをでて、スフバートル通りを下っていくとスフバートル広場になる。四囲に政府宮殿、文化宮殿、オペラ劇場、ウランバートル市役所などをもつ広場で、すでに書いたように、国民的英雄スフバートルの騎馬像がある。ここは、市民のいこいの広場で、夕涼みをたのしむ老若男女でにぎわっている。その光景は、前回(一昨年)きたときに馴染んだものだったが、今回おどろいたのは、遊んでいるこどもたちの多くが、新品のマウンテンバイクやスケボーで走りまわっていることだ。吉郎少年も目をまるくしている。彼らとマンホール・チルドレン、こどもたちの環境にも格差がひろがっている。

 帰宅(洋子さん宅)して、NHK―TVの国際放送を見る。参議院選挙の開票である。
わたしとつれあいは事前投票をすませてきた。民主大勝、自民大敗、公明少敗。ほかの野党は伸びず。予想どおりの結果であった。さて、安倍首相の進退やいかにと見てとるに、選挙結果は厳粛に受け止めるが、国民のみなさんにわたしの真意はご理解いただけたと思うので、反省すべきは反省して続投する、という奇っ怪な対応であった。わたしの真意が国民のみなさんにご理解いただけなかったからこそ、歴史的惨敗を喫したのだ。その明白な事実を無視して、現実の状況がどうあれ、わたしの考えていることだけが正しい、とする態度に、「ノモンハン事件」の参謀たちの姿がちらりと重なった。まあ、60年安保のときに、国民のあれだけの「安保反対」の声を聞きながら、「声なき声はわたしを支持している」といってのけた当時の首相・岸信介の孫だけのことはある。血は争えないものだ。安倍晋三が尊敬してやまないという岸は、戦前の満州で権力を握り、その後、太平洋戦争開戦時の東条内閣の商工大臣となった。

 ここまで書いてきたとき、とつじょ、ウランバートル(7月29日)から東京(9月12日)にワープさせられた。“安倍首相辞意表明”のニュースがとびこんできたのだ。わたしがいまさらいうまでもなく、その辞めかたについての衆目の評価は一致している。新学期がはじまってやらなくていけないことはいっぱいある。始業式には登校したが、クラス替えで、お友だちはいなくなり、しかたなくこわいイッチャンに仲よくしてねと声をかけた。けど、フンといわれたので、ぼくもう学校へ行かない、といったところであろうか。ともあれ、戦後レジームからの脱却をさけんだ安倍首相は、自ら、無責任で夜郎自大なノモンハン・レジームという暗い淵に落ち込んでいった。
 
 わたしたちは明日(7月30日)、ウランバートルからハルハ地域へ出発する。





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