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コラム「Circuit 07」青池憲司

第32回 ハルハ紀行日録(8)/アルガラントにて
2007.9.10

 

写真1 草原の騎馬隊
写真1 草原の騎馬隊

 7月28日。ジリミーン・ツァガン・ヌーラ・ツーリスト・キャンプの午後。外は酷暑だが石造りの食堂棟のなかは涼しい。冷房をしているわけではなく自然の室温である。ホテルやレストランは知らないが、この国にはクーラーなどを取り付けている部屋はない。夏が短くそんなに気温が上がらないからだ。しかし、いま、コーヒーを飲みながらオユンさんは暑い暑いを連発する。「ことしのモンゴルは、わたしが体験するはじめての暑さだ」という。彼女は40歳代の後半だから、それはもう相当な暑さというべきだろう。たしかに、一昨年のほぼ同時期に滞蒙したときはこんなに暑くはなかった。「雨も降らないし」と彼女はつづける。夏に雨がないと秋に草が育たない、すると冬場の家畜の餌に難渋する。オユンさんの頭には、1999年と2000年冬の家畜被害のことがあるのかもしれない。そのときは全国で約250万頭の家畜が死んでいる。世界的な異常気象はモンゴルの草原にも及んでいる。

 オユンさんは、好学心と向上心のつよい人である。社会主義時代(92年以前)のウランバートルの大学で日本語を学んだ。当時、日本語は資本主義国の言語であったから教師も教材も充分ではなかったという。96年に来日して日本語の勉強をしながら「お弁当屋さんで働いた」。すでに結婚していてこどももいたが、こどもを親に預け日本へ向かった。旦那(と彼女は夫を呼ぶ)も同時期に韓国へ出稼ぎにでた。「7年間くらい家族はバラバラだったが、みんながんばった」とオユンさんはいう。オユンさん自身は、帰国してからは通訳やガイドの仕事をしてその業界でのキャリアをつんだ。そのご、ジリミーン・ツァガン・ヌーラのこの地を取得し、ツーリスト・キャンプの建設をはじめた。手作業にもひとしくコツコツと設備を整えていったそうだ。キャンプ施設の家具や備品、装飾品などを探し求めて、鉄路で約14時間、国境の中国側(内モンゴル自治区)のまち、エレンホト(二連浩特)まで通ったという。ちなみに、モンゴルで消費される中国製品の多くは、ザミーン・ウード(モンゴル側)とエレンホト(中国側)の国境を通って入ってくる。物資の集散地であるエレンホトまで繰りだせば、たいへんな労力ではあるが、気に入ったものが安く手に入る。

 話をきくにつけても、オユンさんという人は、何事も自分の判断と自分のリーダーシップでやらないと気がすまない人のようだ。彼女は、家族親族の長といった趣がある。洋子さんからきいた話だが、角川映画の『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(澤井信一郎監督)のなかで、反町チンギスを「ゾクチョウ」と呼ぶセリフがあって、モンゴル人観客はその場面のたびに大笑いしたそうだ。「ゾクチョウ」は日本語では「族長」だろうが、モンゴル語ではレストランのウェイトレスである。余談はさておき、オユンさんには、息子と娘がいて、息子は妻子と日本(群馬県)に住みトヨタの工員をしている。移住労働者である。孫の成長もたのしみだが、彼女は、甥のナイダン(13歳)にも目をかけていて、あの子は勉強が好きなので大学まで出してやりたい、という。まこと、オユンさんは「族長」の貫禄をもつ女丈夫である。

写真2 吉郎少年とオユンさん
写真2 吉郎少年とオユンさん

 コーヒーを飲みながらオユンさんが、こんどの旅行の目的は何かと訊くので、ハルハ地域へ行くこと、と答えたが彼女は怪訝な顔をしている。「日本人がノモンハン事件と呼ぶ、ハルハ河戦争の戦場を歩いてみたいのです」と答えなおす。彼女の表情は、半分は納得し、半分は、どうしてそんな所へ、といっている。そうだよね、どうしてそんな所へ? じつは、わたしにもよくわからない。理由の判然としない旅そのものが旅する理由かもしれない。現在のハルハ河両岸一帯はもちろん「戦場」ではない。しかし、わたしにとっては「戦場跡」でもない。ノモンハン事件という名の戦争は形而上的にはまだ終っていないのではないか。ノモンハンという文字(ことば)に接するたびに、わたしはそんな疑念にとらわれる。ノモンハン事件は、1939年(昭14)9月に停戦が成立して終ったが、それ以後“ノモンハン”はたんなる地名であることをやめ、いまだに日本国家を縛る呪語として作用しているのではないか。その呪語の発生の地を一目見たい――――オユンさんにはうまくつたえられなかったが、ハルハ行きの理由をそのときそんなふうに考えていた。

写真3 ドルマー(右)とオンドラー
写真3 ドルマー(右)とオンドラー

 部屋のなかが暗くなった。窓外を見ると、空が真っ黒になり雷鳴がして風がつよく吹きはじめている。一雨くるかもしれない、オユンさんがうれしそうに叫ぶ。雨はきた。しかし、大粒な雨滴がほんの数分大地を叩いただけで、それっきり人と草を潤すことはなかった。オユンさんは肩を揺すって落胆し、雨降らないかねえ、を何度も繰り返した。午後5時すぎ、やや涼しくなったころを見計らって、洋子さん、吉郎少年、つれあいの3人は草原への乗馬にでかけた。指導先導はオユンさんと彼女の旦那である(写真1、2)。オユンさんの話によると、吉郎少年はなかなか乗馬の筋がいいそうだ。彼は、好奇心旺盛で物怖じせず、人見知りしないだけでなく馬見知りもしないようだ。馬乗りにでかけなかったわたしは何をしていたかというと、このふたり(ドルマー、オンドラーの姉妹。写真3)と小1時間怪物ごっこをしていた。怪物ごっこ? わたしがそう思っただけでホントは何の遊びかわからない。姉妹が怪物じみたかっこうでオドロオドロシク奇語を発しながら襲いかかってくる。捕まると喰われてしまう。捕まっても喰われないようにたたかうのだが、わたしは何回も喰われてしまった。初老のヤポンを相手に、6歳と3歳のモンゴルっ子は次からつぎへと遊びを繰りだしてくる。見事なもてなし(ホスピタリティ)にわたしはたのしんだ。なにはともあれ、暮れなずむ草原の珍妙な光景ではあった。





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