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コラム「Circuit 07」青池憲司

第31回 ハルハ紀行日録(7)/アルガラントへ
2007.9.5

 

写真1 ジリミーン・ツァガン・ヌーラ・ツーリスト・キャンプ
▲写真1 ジリミーン・ツァガン・ヌーラ・ツーリスト・キャンプ

【タイトルを標記のように改めます】
 7月28日。暑。ウランバートルから西へ約60キロメートル、アルガラント地方のジリミーン・ツァガン・ヌーラ(白い池という意味があるそうだ)へ向かう。その地に同名のツーリスト・ゲル(移動式住居)・キャンプがある。ゲルでの暮しを1日だけでも吉郎少年に体験させたい。ツーリスト・キャンプからの迎えのワンボックスカー(日本製)で、わたしとつれあい、吉郎少年、洋子さんの4人は出発した。車での迎えは、キャンプのオーナーとひとみさんが友人であるゆえの待遇なのだが、そのひとみさんは仕事があって不参加。ウランバートル市のまちはずれにある街道沿いのスーパーマーケットで水と食料を買う。モンゴルでは町から出るときは、水、食料、ガソリンをわすれてはならない。

 アルガラントへ向かうこの街道の名前を知らないが、首都から西へ向かう幹線道路、日本でいえば東海道のような存在であるから、勝手に国道1号線と呼ぼう。わたしが手に入れたモンゴルの道路地図を見ても名称、番号は記されていない。主要区間のkm数とガソリン・スタンドの表示はある。GSの表示があるからといって油断してはいけない。たしかにその地にスタンドはあるが油断(油切れ)の場合があるからだ。1号線は片側1車線の舗装道路だが場所によってはだいぶ痛んでいて、補修の手が回らないようだ。そんな所では車はすぐ脇の草原を走りまた適当に舗装道路へもどる。道あって道なきがごとし。人歩けば道になり、馬走れば道になり、車走ればまた道になる。すべての道は草原にあり、すべての草原は道である。

 目指すジリミーン・ツァガン・ヌーラへは途中から1号線をそれて草原を行くのだが、草原の道に行き先を明示した道路標識などない。道はかならずしも一本ではなく、ときに分岐点があってもドライバーはすいすいと道を選んで行く。わたしの見える所に目印になるようなものはなにもない。わたしにはわからない独自の目印があるのかもしれない。モンゴル人の眼は日本人の数倍の視力をもっているという。前回の旅で、遠くの丘に石碑群のようなものが見えるので、遺跡かと思って、あれは何と訊いたら、モンゴル人通訳から、羊の群です、という答が返ってきた。えっ、うごいていないよ、といいつつ双眼鏡で覗いてみたら、まさにそれは、うごく生きもの(羊)以外の何ものでもなかった。モンゴル人の視力に脱帽。

写真2 ゲル(遊牧民の移動式住宅)
▲写真2 ゲル(遊牧民の移動式住宅)
写真3 ゲルの内部
▲写真3 ゲルの内部

 草原の道というとなにやらロマンティックだが、とんでもない。上下揺れ左右揺れ前後揺れが間断なく襲ってくる道である。その三つの揺れがミックスされてくるときもある。悪路難路という形容はとっくに通り越している。はじめは、アーウォーヒェーなど叫んでいたがそのうち声もなく、ただ黙々とモノ状態で運ばれていくこと1時間半、やっとこさツーリスト・キャンプに着いた(写真1)。キャンプの女性経営者オユンさんとスタッフ全員が迎えてくれる。この歓迎でわたしたちはイキモノ状態にもどった。スタッフはほとんどがオユンさんの家族と親族である。ゲル(写真2、3)に案内され、荷解きをしてキャンプの食堂でビールとかんたんな昼食。涸れ川のようになっていた身体の隅々までチンギス・ビールが流れていく。

写真4 モンゴルのこどもたちと吉郎少年
▲写真4 モンゴルのこどもたちと吉郎少年
写真5 ナイダン(右)とオンドラー
▲写真5 ナイダン(右)とオンドラー
写真6 ドルマー(左)と吉郎少年
▲写真6 ドルマー(左)と吉郎少年

 食後、それぞれに一憩。吉郎少年はスタッフのこども(オユンさんの甥や姪)たちと遊んでいる(写真4〜6)。甥はナイダン(13歳)、姪はドルマー(6歳)とオンドラー(3歳)。4人は羊の骨片を駒にしたオセロのようなゲームをしている。それに飽きると鬼ごっこに興じている。「遊びをせんとや生まれけん・・・・」、遊ぶこどものactionとvoice(姿声)に、わたしもまた興じている。屋外に出てみる。暑熱。主人公は照りつける太陽とそれに拮抗する大地のみ。人のでる幕はない、ようだ。うなだれて、屋内に引き去がり、こどもたちの喚声にとりまかれながら、陣中日記(『ノモンハン戦場日記』/新人物往来社刊)を繙く。

 1939年(昭14)の「七月二十八日(733バル西高地) 激戦の余りか、気候の為か、暑さと寒さに身体を無理し、下痢患者が続出し中隊長を始め数十名に及び、衛生隊の活動も一方ならず多忙なり」(陸軍砲兵上等兵・田中誠一さん)。下痢は、激戦も気候もあろうが、なにより水のせいであろう。わたしは前回の旅で、かなり水に気をつけていたがいちどかなり激しい下痢に襲われた。同日の榊原重男さん(陸軍砲兵軍曹)は、「引き続き掩対補強、二ヶ月も布陣するというので、凄い掩対設計。ちじみのシャツも、白いのか茶なのか初めの色が判らなくなった。十日も靴をはきとおしだ。二十三時三十分、壕中のローソクで綴るこの日記、月は青く満天を照らし、雲一つないこの北満国境の夜景」と書いている。有光三郎さん(陸軍歩兵上等兵)は、「(略)月ハ煌々ト照リ輝キ、戦争デナカッタラ非常ニ好イノニト思ッタ。(略)」。昨夜、わたしがウランバートルで見た月は十三夜くらいであった。成澤利八郎さん(陸軍砲兵一等兵)の日記には、「七月二十八日 金 晴 朝から敵味方静かなり。(略)起床六時半頃。中隊長の命令一下、全員持場に就くも一発も発射し得ず、目標見へずの状態なり。(略)」とある。この日は戦闘はなかったようである。戦闘はなかったが、兵士は、「(略)実ニ蚊ノ襲来ニハイヤニナル(略)」(前掲の有光三郎さん)と、ハルハ草原ネイティヴの敵に悩まされた。「この蚊は、日本の蚊と違って大きく強く、皮膚にとまったのを、指でつまんで離さぬと離れないのです。しかも無数にいます」(伊藤桂一『静かなノモンハン』のうち「小指の持つ意味」より)。

 「アオイケさん、コーヒー飲みませんか」、ささやくような声がした。オユンさんである。
オユンさんは、日本に7年ほど住んだことがあって日本語が堪能だ。暑い午後のひとときを彼女との会話で過すのだが、それは次回に。





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