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コラム「Circuit 06」青池憲司

第3回 こどもと震災2
2007.2.11
▲震災後は避難所となった小学校(写真は御蔵小)

 (承前)12回目の1.17の翌18日に、震災当時小学4年生だったヨーコにひさしぶりに会って、思いだした11年まえの話のつづきである。震災の年(1995)の秋にヨーコは、わたしに「カントクのおっちゃん、地震があってよかったことってなに?」と質問した。わたしがそれに答え、今回はそのあとの場面である。

 「ところで、地震があってよかったことがヨーコにはあるんか?」
 「ある」ヨーコはそくざに答えた。
 「学校がおもしろかった」
 「えっ。学校が?」「うん!」
 「ふうん。おもしろかったって、いまはおもしろくないの?」
 「まえのほうがずっとおもしろかった」。まえというのは、震災後の2月9日に小学校が仮再開されて以後の数か月をさしている。 
 「あのころは」とヨーコは妙におとなびたいいかたをする。「友だちと別れわかれになってさびしかった。先生もいそがしくておちつかない毎日だったけど、わたしたちはなんでも自分たちの力を出し合って、自分たちの考えでやれたから、ドキドキたのしかった」   
 学校は、再開されたといっても、多くが被災者の長期的な避難所になっていて、教師たちはその運営にもかかわってキリキリ舞いしていた。ヨーコの教室も先生のいない授業時間が多く、その時間を、こどもたちはあたえられた自習だけではなく、独自のプログラムを考えて実行したという。そのひとつに、体育館に避難していた人たちへの、ボランティアといっしょになっての“支援活動”があったようだ。 
 
 震災後の数週間あるいは数か月間、こどもたちはおとなたちに立ち混じって働いた。
 「わたしはお兄ちゃんといっしょに壊れた家のかたづけをしたし、水汲みにも行ったし、それはこどもの仕事だったんよ」とヨーコはいう。
 それは、こどもたちにとって、おとなのお手伝いではなく、当然やるべき事柄だったのである。それがよかった、と彼女はいう。ヨーコの話には、震災後の日々を自活的にすごしたという自負がこめられているようだ。こどもたちのまわりには教師の目や親の手がもちろんあった。しかし、こどもたちが学校の外と内で、自主的に「学びの時間」をつくっていったことはたしかである。
 
 「いまの学校は?」
 「いまは、べつに。・・・・もとどおりのふつうの学校」
 「ドキドキしない?」
 「しない」 
 ドキドキした学校とドキドキしなくなった学校。それは、地域の復興がはじまっていたとはいえ非常事態にあった時期の学校と、非常時ではあるが教室のなかを震災まえの日常にもどそうとした時期の学校のちがいといえばよいか。ドキドキしなくなったのは、震災でこどもたちが見てしまったもの、感じてしまったことが、「もとどおりのふつうの学校」にはおさまりきらず、こどもたちの居ずまいをわるくしていたのか。震災後の学校は95年度の1学期から急速に復旧していった。再生ではなく復旧であった。こどもたちと家族の住む地域が非日常であった時期に、学校が急いだのは学校の日常を取りもどすことだった。

 被災地のこどもたちの多くが地震のあと、こども同士はもとより、親やまち(地域)のおとなたちとの、生活場面での共同性を生きる時間をもった。それはかぎられた時間ではあったが、これまでにこどもたちがあまり経験することのなかった世界であり、かれらにとって「よかった」ことなのである。おとなからすれば、嵐のなかの裸木のように危うい存在に見えても、こども自身は自活と自立の誇らしさのなかにあった。地震とその復興期の経験で変貌し成長したこどもたち。おとなたちもその時期、地域(まち)の復興をめざして恊働していた。まちづくり協議会の活動である。週に3回も4回も住民集会が開かれ、議論があり、ときに罵詈雑言もとんだが、自分の意見を出し合っていた。わたしは冗談半分に“震後民主主義”の芽ばえと呼んだが、それは、おとなたちにしてもそんなに経験したことのない世界であった。こうした時期、こどもたちの学習の場は被災地そのものへと拡がっていた。地域のおとなやボランティアとの交流など、学習材料にはこと欠かなかった。一方、学校の多くは、こどもが自主的に経験した世界を「教えなおす=学びなおす」場として機能することなく、さっさと「ふつうの学校」にもどっていった。

 ヨーコや被災地のこどもが短期間であれ感受した「ドキドキする学校」は、災害時における、こどもたちの自主性と共同性からうまれてきた。非常時でなくてもドキドキする学校にするにはどうすればよいのか。それもやっぱり、こどもたちの自主性と共同性からうまれてくるにちがいない。――ひさしぶりにヨーコの顔を見て、11年まえを思いだし、そのことを書きとめたのは、わたしがさいきんの「こどもの環境」をめぐる、おとなたちの動向に大きな危機感をもっているからだ。教育基本法を“改正”し、教育再生会議の報告を受け教育3法案の国会提出を計っている安倍政権下での、おとなたちの“不穏”なうごき。彼らが唱える愛・規律・奉仕活動には、こどもたちの自主性と共同性を尊重するモラルが決定的に欠けている。彼らがこどもに出会うことはついにないであろう。

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