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コラム「Circuit 07」青池憲司

第25回 ハルハ紀行日録(1)/出発まで
2007.8.12

 モンゴル旅行をしました。めざしたのはハルハ河とその周辺の草原です。首都ウランバートルから真東へほぼ1000キロメートル、中国との国境まで10数キロメートルの地点が旅の目的地ハルハ河です。ノモンハン事件といえば、ある年代以上の人、アジア太平洋戦争に関心のある人なら、ああ、とうなずかれることでしょう。1939年(昭和14)の5月から9月にかけて、当時の日本・満州国軍とソ連・モンゴル軍が、満洲国とモンゴル人民共和国の国境線をめぐってハルハ河一帯で戦いました。実質的には日本軍(関東軍)とソ連軍の戦いでした。この戦闘を、日本では「ノモンハン事件」と呼び、ソ連側は「ハルハ河事件」といっています。どちらも戦争といわないのは、小競り合いからはじまった宣戦布告のない戦いだったからです。自国が戦場になったモンゴルは「ハルハ河戦争」と名付けています。

 「ノモンハン事件」は、日本軍がソ連軍の近代化された軍事力(戦略科学と兵器技術)に徹底的に壊滅させられ、歴史的な大敗を喫した戦争でしたが、当時、その事実は国民には知らされませんでした。のみならず、戦死者家族への連絡さえも限定的で、生きのこった下士官兵士たちは配置転換で南方などに送られ、帰国する者はすくなかったそうです。一方、戦闘を指揮した軍上層部将校らの多くは、ノモンハン事件の失敗の責任を取るどころか、それを糊塗隠蔽することで軍隊組織内での保身と栄達を図り、「事件」の総括は形式的に行なわれたにすぎませんでした。すでに渦中にあった中国への侵略戦争、そして、ノモンハン事件の教訓を批判的に摂取することなく、日本は、アジア太平洋戦争へと突き進んでいったのです。

 わたしが、ハルハ河の戦場跡にでかけた理由は何かといいますと、ひとつは、モンゴルへ行くならぜひノモンハン事件の場へ、という思いが潜在的にあったからです。それには、わたしがかつて読んだ、伊藤桂一さんの『静かなノモンハン』(講談社文芸文庫版)と、半藤一利さんの『ノモンハンの夏』(文春文庫版)の影響があります。こんどの旅にもこの二著を持って行きました。評価の定まった著作について、わたしがいまここに書きたすことは多くはありませんが、わたしは、この二著を読み返すたびに、ノモンハン事件にとどまらず、わたしたちの社会のいまのかたちへの考察力と、その社会のなかでいかに生きるかの判断力を問われているような、緊張を感じます。二著はわたしにとって思考のヤスリであり補助線です。

 もうひとつの理由は、ウランバートル在住の友人から届いたメールでした。それには、「ノモンハンへ行くことを計画しています。チョイバルサンまで飛行機で行って、そこで車をチャーターするつもりです。モンゴルの東は、背の高い草が一面に茂って、まさに『草の海』だそうです。山もなく、『最もモンゴルらしいモンゴル』と知人から聞いて、是非行きたいと思っています」とありました。友人がここでノモンハンと書いているのはハルハ河一帯のことをいおうとしているのです。わたしも、日本人がノモンハンと呼び、モンゴル人がハルハという一帯は同一地域だと認識していたことがあります。それはもちろんまちがいで、両者は数十キロメートル離れたべつべつの場所です。

 ともあれ、友人の計画は、わたしにとって積年の望みをかなえる好機到来でした。ハルハ河一帯は日本人のみならず外国人がわざわざ観光で行く所ではありません。だから、旅行社がツアーをつくったりもしていません。自力で準備をして宿や車の手配をして装備を整えて出かけなくてはならないのです。そういう作業は苦になりませんし、むしろ、それ(こそ)が旅の醍醐味と思っていますから、その点の問題はないのですが、やはり、現地に友人知人がいてくれると事は大いに捗ります。朋遠方にありて我Lucky! 友人には申し訳ないがアリテイにいって、わたしに「草の海」への趣味はなく、「最もモンゴルらしいモンゴル」への関心もありませんが同行の意をつたえました。友人もとよりわたしの意図は承知していますから企画は成立しました。

 日本からの同行者のひとりに、べつの友人の甥っ子がいて、彼は中学1年生で家族をはなれてひとりでこの旅に参加しました。じつは、彼を誘ったのは、わたしとつれあいで、ことしの5月に彼の家に遊びに行ったとき、「モンゴルはおもしろい。いっしょに行こう」とけしかけたのです。それを忘れていたわけではありませんが、あるときその友人から、甥っ子のKくんが学校で、「ぼくは夏休みにモンゴルへ行くかもしれません」という文章を書いたときいて、おいおい、これは計画を進めなくては・・・・と思ったことも、まあ、今回のモンゴル行きの理由の一つではあります。――それからはおきまりの旅の支度のドタバタがあって、7月下旬、わたしと同行者ふたりはモンゴルめざして旅立ったのです。





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