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コラム「Circuit 06」青池憲司

第2回 こどもと震災1
2007.2.4
ひさしぶりにヨーコと出会った大国公園
▲ひさしぶりにヨーコと出会った大国公園

 12回目の1.17の翌18日、ヨーコに会った。といっても、野田北部の大国公園ですれちがい、ひさしぶり、と声をかけただけなのだが。彼女は、ちょっと澄ました顔でにっこり挨拶すると鷹取駅のほうへ駆けていった。その姿を見送りながら懐かしくもあることを思いだした。ヨーコとはじめて会ったのは地震の年(1995)、彼女が小4の秋だった。そのときからしばらくは、わたしのことを、カントクのおっちゃん、と呼んでなついていたのだが、ほぼ10年ぶりの再会であれば、少女は乙女になり、おっちゃんはじいさんになった。

 そのころ、学校での「授業」が終って解放されると、ヨーコは友だちといっしょに、よく、鷹取救援基地へあそびにきていた。基地はひところ、遊び場のないこどもたちの“たまりば”のようになっていた。彼女は好奇心のつよい子で、ボランティアの誰彼をつかまえては質問の矢を放っていたが、ときにわたしにもその矢が飛んできた。
 「あんなあ、カントクのおっちゃんなあ、地震があってよかったことってなに?」。
 いきなりのストレート・パンチである。
 「地震は家を壊したし、その下敷きになって大勢の人が死んだし、あってよかったことはないなあ」。
 問いかけの直截さにぐらっとなりながら、とりあえず答えをかえす。しかし、これでは答えになっていない。こんどの地震が大きな不幸をもたらしたことくらい、こどもにだってわかっている。ヨーコは、最悪の状況のなかにも得るものや学ぶこと=希望があるはずだ、といいたいのであろう。

 地震があってよかったというのは勇気がいるが、おっちゃんがいまいえることは、きみたちのお父さんやお母さん、まちの人たちが力を合わせて震災後の毎日を生きていること。地震のまえのまち(地域)よりももっともっといいまちをつくろうと、みんなが意見を出し合って、知識や知恵を出し合って努力していること。それは素晴らしいことだ。そんなことをヨーコに話した。彼女は、それだけ? という顔をしている。わたしはつづけた。
 きみたちのまわりに住むまちのみんなは日本人だけではない。韓国・朝鮮の人もいれば、ヴェトナムの人もいれば、日系ブラジル人も、たくさんの外国の人たちがいる。その人たちにも家族があって、おとなは長田の地場産業のケミカルシューズや町工場で働き、こどもは学校へ行っている。つまり、生活している。そうした外国からきた人たちは、日本人の暮しや社会とあまり関係ないと思っていた日本人がたくさんいた。だけど、じつはそういう人たちをふくめてこそ自分たちのまち(地域)なのだ、と気がついた。そのことがはっきり見えてきた。

 整理すると切り口上になってしまうが、そんなことを話すとヨーコは、
 「気がついたんは地震があったから?」
 「そうや。ほんとうは地震がなくてもわかっていなくちゃならないことが、地震があったためにはっきりわかったんや」
 「うっとこのおじさんは、炊き出しのとき、列の前や後ろにヴェトナムの人がいて、おなじアパートの人だけど、はじめて口きいた、いうとった」
 「そういうことや。いままでは隣におっても関係ないと思うとったんや。きみもヴェトナム人の友だちがいるやろ」
 「おるで。ホンちゃんやろ、ルアンちゃんやろ、グエンちゃんやろ」ヨーコの口から何人もの名前がでてくる。「だけど、おじさんは近所のヴェトナムの人の名前、そのときはじめて知ったいうとった。ヴェトナム人はみんなおなじ顔に見えてたけど、そのときから一人ひとりの顔がはっきりわかるようになった、家族のこともわかった、いうてた」
 「そうなんや。それは、地震があってよかったことのひとつじゃないか」
 「そうかあ・・・」
 「そうだよ。ところで、地震があってよかったことがヨーコにはあるんか」
 「ある」ヨーコはそくざに答えた。
 「学校がおもしろかった」
 「えっ。学校が?」「うん!」

 ふたりの話はこんなふうにつづいていったのだが、以降は次回に。

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