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コラム「Circuit 07」青池憲司

第18回 鷹取での2日間(3)
2007.6.17
写真1 左からパオロ神父、伊達伸明さん、天川佳美さん
▲写真1 左からパオロ神父、伊達伸明さん、天川佳美さん

 新しいたかとり教会の献堂式と祝賀会でなつかしい顔にたくさん会ったが、はじめての出会いもまたあった。そのひとり、伊達伸明さん。伊達さんは、「建築物ウクレレ化保存計画」家である。といっても何のことやらわかりませんよね。平たくいえばウクレレをつくる人なのだが、「ウクレレ製作者」といってしまうと、ちょっとイメージがちがう。まあ、それはそれとして、その伊達さんがなぜ、きょうのこの日にここにいて、わたしと話をしているのか。わたしが彼に紹介されたときも、彼が手にしていたのは一本のウクレレだった。これがただのウクレレではなかった。

 それは、1927年にこの地につくられた教会の司祭館(阪神大震災で被災しながらもそのご10 年使用され、新施設建設にともない取り壊された)の部材をつかってつくられていたのだ。伊達さんは、「失われゆく建物の思い出をウクレレにして残そう」という活動(それが「建築物ウクレレ化保存計画」)を7年まえからつづけている造形作家で、これまでに40本以上の思い出ウクレレをつくっているという。縁あってたかとり教会司祭館の思いでをウクレレに残すことになり、きょうの良き日に合わせて完成させたそれを持参したとのことであった。

写真2 パオロ神父と「たかとり教会司祭館ウクレレ」
▲写真2 パオロ神父と「たかとり教会司祭館ウクレレ」
手すり親柱上部の黒くへこんだ部分が
ウクレレのヘッドとネックのパーツになった

 旧司祭館のどこの部分の建築材をつかってウクレレをつくったのだろう? 伊達さんとパオちゃん(パオロ神父)、コー・プランの天川佳美さんとわたしでその場へ行ってみた。そこは新しい司祭館の階段で、階段の手すりには旧司祭館のそれがそっくりつかわれていた。震災をはさんだ5年間以上を旧司祭館ですごしたパオちゃんのなつがしがることひとしおであった。その階段手すりの特徴的な親柱の一部をウクレレのヘッドとネックにつかい、ボディに人びとが親しんだ部屋の部材などがつかわれ、サウンド・ホールのなかには玄関扉のキーが組みこまれた。パーツすべてが記憶の装置である。(写真1、2)

▲写真3 森下酒店表 立っているのはわたしを拉致した連中

 中庭では祝賀会がはじまり、よろこびの酒宴となり、「たかとり教会司祭館ウクレレ」のお披露目もあった。わたしも宴の環にくわわり信州の升酒をいただいた。ここからのわたしは例によって酒浸りになる。例によってというのは、被災地KOBE(野田北部・鷹取ほか、友人知人の居住地)にはいつも用事があって出かけていくのだが、夜はどの地にあってもかならず酒漬かりになってしまうのだ。夜がまたくる、酒と悪友を連れて・・・・。教会の祝宴は夕刻つつがなく閉会となった。しかし、それだけで満足することのない輩はいるもので、そのひとり、ご存知せっちゃん(野田北部まちづくり協議会/野田北ふるさとネットの事務局長)に、彼の巣窟である森下酒店の立ち呑みに連れていかれた。
(写真3)

▲写真4 同・店内 中央にせっちゃん

 そこにはいつものようにせっちゃんのお仲間が勢揃いしていた。森下酒店は連れていかれがいのある立ち呑みであり、ここの常連さんたちは酌み交わしがいのある呑んべえである(写真4)。立ち呑みは関東ではついぞ見かけなくなった光景だが、関西ではいまだに廃れていない庶民の酒呑み場のひとつである。せっちゃんが、ここでのお仲間の人柄、呑み柄などのあれこれを野田北ふるさとネットのWebサイトに連載していて(サイトに入って、ふるさと日記→愉快な仲間たち、と進む)、その趣旨に、「森下酒店には、酒をこよなく愛するあらゆる業種の人々が集い、日々コミュニティを紡いでいる。_この日記は、それらの人間マンダラを私の視点で、記して行きたい」とある。『野田北版庶民酔伝』といった感触である。わたしの酔伝はまた次回に。



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