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▲写真1
献堂式 |
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▲写真2 池長大司教と神田神父(左)池長大司教と神田神父(左) |
新しいたかとり教会の献堂式は午後2時からはじまった(写真1)。大阪大司教区のレオ池長潤大司教が司式を務め、その傍らに神田裕神父(写真2)。式に参列する信徒さん(日本人、在日韓国人、在日ヴェトナム人ほか在日する外国人)は聖堂の外にまであふれ、その顔はみな晴れやかだった。わたしは、かつて、この敷地内を、足掛け5年の撮影活動の拠点としてつかわせていただいた感謝のきもちをこめて、聖堂外の中庭の一隅から式進行を見守った。阪神大震災からの地域復興の歳月を記録した映画、記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』(全14部)は、鷹取救援基地と地域の力に支えられて完成したといっても過言ではない。
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▲写真3 左、南木曽の松瀬博敏さん 震災直後に鷹取へ木材を運んでくれたときの代表
右、浅山三郎さん(野田北部まちづくり協議会会長) |
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▲写真4 左、天川雅晴さん(コー・プラン)
右、河合節二さん
(ご存知せっちゃん=野田北部まちづくり協議会事務局長) |
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▲写真5 左、ハ・ティ・タン・ガさん (NGOベトナムinKOBE代表)
右、清山オモニ
オモニとガさんは24年のおつきあいがある
わたしも、親しくさせていただいている。 |
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▲写真6 左から、森崎輝行さん (建築家。野田北部・鷹取地区の復興に尽力した)
パオロ神父 (震災時の鷹取教会助任司祭。パオちゃんの愛称で地域の人たちに親しまれた)
天川佳美さん(コー・プラン) |
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▲写真7 シスター・是枝邦子
震災当時から3年余り救援活動に従事し、
その人柄と行動力で地域の人たちに親しまれた。 |
この日は、野田北部の住民さんや復興活動に携わった人たちも大勢参加して献堂式を祝った。この教会がカトリック信者だけのものではなく、かんちゃん(神田神父)がいつもいっていた「地域に開かれた教会」であることをあらためて印象づけた。集まったのは、多くが、わたしにも馴染みのある人たちであった。長野県南木曽の人たちがいた(写真3)。かつて、鷹取救援基地のボランティア活動のひとつに木工日用品の製作と仮設住宅への配布があったが、その木材は南木曽から送られてきた。新しい聖堂の祭壇は樹齢350年の南木曽の檜である。かれらは、献堂式ののちに開かれた祝賀会で信州のおいしい樽酒を振る舞ってくれた。もちろん、野田北部まちづくり協議会の面々と地域の人たちがいた(写真4、5)。コー・プランをはじめとする、住民主体のまちづくりを支援する専門家グループやコンサルタントの人たちがいた(写真6)。かつて復興支援活動に従事し、いまはこの地を離れた教会関係の人たちがいた(写真7)。そこには、多くのおおくの笑顔があった。そして、わたしたちは文字通り旧交を暖めあった。
この日の式典には台湾からも参加者があった。新故郷文教基金会の人たちである。かつて、たかとり教会にあって地域住民の集会所としてつかわれていた(日曜日には聖堂になった)「たかとりペーパードーム」が、教会の再建工事にともない解体されようとしていたとき、台湾921地震(99年)の被災地の人たちが神戸を訪問した。阪神大震災10周年にあたり、日台被災地住民の友好交流が目的で、その歓迎会が「たかとりペーパードーム」で開かれた。そのとき、訪問団団長の新故郷文教基金会・廖嘉展理事長から、「こんなに記念的価値のある建物を台湾で再生することはできないだろうか。両被災地をつなぐ友好の懸け橋にできないだろうか」との提案があった。以後、日本と台湾双方で推進委員会が設立され、「たかとりペーパードーム台湾再生計画」は進展し、解体されたペーパードームの建築部材が台湾に運ばれ、いま、台湾南投縣埔里鎮桃米里で移築工事が進んでいる。ことしの9月21日に落成の予定だという。
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▲写真8 左から、何貞清さん、筆者、廖嘉展さん、顔新珠さん、廖耕楽さん |
新しいたかとり教会完成のお祝いに参じてくれたのは、新故郷文教基金会の廖嘉展理事長と顔新珠さん、何貞清さんらである。顔さんは映像作家でもあって、「たかとりペーパードーム台湾再生計画」のプロセスをヴィデオで記録している。この日も式典の一部始終を精力的に撮影していた。わたしにも出演の申し込みがあり、大国公園でインタヴューを受け、「桃米里に建つペーパードームが、国の壁を越えて、被災地どうしの、さらには被災をも越えて、インターコミュニティ(地域間交流)の拠点として役立ってほしい」と話した(写真8)。こんどの鷹取滞在で出会い再会した人たちはまだまだいる。次回もその話を。
(この項つづく)