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コラム「Circuit 06」青池憲司

第8回 春あさきKOBEで
2006.3.21

 

雪空の下の港都
▲雪空の下の港都 Photo:青池憲司

(「ヴェトナム戦争の戦後を見る」のつづきを1回パスして)。
 中旬に4日間ほど被災地KOBEへ行ってきた。所用あってのことだが、秘めたる目的は、阪神大震災以前からの、そして多くは震災後におつきあいがはじまった友人知人たちと、ゆっくり話をし、じっくり酒を呑み、散髪することにあった。この時季、おなじように酒を呑んでいても1月17日の周年日前後とはまた異なる雰囲気である。周年祈念のころは裃をつけて、いまは着流しでといった心もちであろうか。春三月、鷹取の立ち呑み酒屋森下で地域の人たちとコップ酒をやっていると、「もう、くぎ煮、炊きはった?」という声が聞こえてくる。くぎ煮はいかなごを甘辛く味つけして炊いたもの、姿が釘のかたちをしているのでこの名がある。このあたりでは各家でつくり、それぞれの味を“秘伝”としている。声の主たちの話は、「ことしは食べられないだろう」とあきらめていたが、いかなごが手に入り、そのころやっと復旧したガスで炊いた震災の年のくぎ煮が生涯でいちばんうまかったなあ、と展開していく。そんな話を背にしながら、せっちゃん(河合節二さん=野田北ふるさとネット事務局長)や、この店の常連さんたちの世間話の環にまぜてもらっていると、KOBEはいまも震後の直中にある、という思いがつのってくる。きょうの日常はあの日の非日常に通低している。

ヘルメットを被り更地に立つイエスさん(カトリックたかとり教会)
▲ヘルメットを被り更地に立つイエスさん(カトリックたかとり教会)
Photo:青池憲司

 野田北部まちづくり協議会事務所へ。浅山三郎会長はじめメンバー諸氏に会い挨拶。のち、地域をひとめぐりする。カトリックたかとり教会の敷地はすっかり更地になっていて、寒空の下、ヘルメットを被ったイエスさんがひとりポツネンと立っている。この像は難民ヴェトナム人信徒が寄進したものである。暑い国からやってきてさぞお寒かろう。東京を出るときはぽかぽかだったのに、寒いさむい。そこから歩いて約10分、JR新長田駅前にある「神戸定住外国人支援センター」(KFC)へ。ここに「日本ヴェトナム友好協会」の兵庫県連合会が同居していて、事務局の中村通宏さんと会い、日本人側から見た、神戸の在日ヴェトナム人コミュニティについてレクチュアを受ける。中村さんは、阪神大震災直後に「被災ベトナム人救援連絡会」を立ち上げた人のひとりであり、以後当地のヴェトナム人の生活再建やそれにまつわる諸問題にかかわっている。

 いま、神戸市在住のヴェトナム人は約1000人、約260世帯。そのほとんどが1978年以降にいわゆるボート・ピープルとしてやってきた人たちが日本での定住生活でつくりだした家庭家族である。そのうち、15歳から24歳の男女が約170人で全体の2割ちかくを占める。わたしの関心はこの年代の若者たちの「いま」にある。かれらは、ヴェトナムでの生活経験がまったく(ほとんど)なく、ヴェトナムはかえるところではなく、行くところであり、自分のアイデンティティにふかく悩む世代である。かれらが、いかなる感受性をもって日本社会に立ち向っていく(いる)のか。たとえば、以前に紹介したラップ歌手をめざすMCナムは自作の『オレの歌』で、「この国にいてもオレに国籍はない/どこの国に行ってもオレに国籍はない/オレの血は確実に日本より西のものだ/こうなればべつにオレに国籍はいらない/オレはオレのことをオレの歌で証明」と歌う。「このヴェトナム人世代と、同級生として小中高校生活をおくった日本人の若者が、どのように連繋していくのか、それがたのしみです」と中村さんはいう。たのしみではあるが、それは試練でもある。

六甲山ケーブルカー
▲六甲山ケーブルカー Photo:青池憲司

 天候変転するなか、おもいたって六甲山山頂へ。震災後10年以上KOBEへ通っているが、まだ港都を見おろすこの山に登ったことがない。1936年開設というケーブルカーで行くこと10分、山上は粉雪が舞っていた。「港都」とよばれるモダーン・シティを舞台にした小田実の小説『ベトナムから遠く離れて』(講談社刊)を、いま読んでいて、これは難儀な小説で、いちど手にしたが途中で放りだした覚えがある。なにが難儀かというと、400字詰原稿用紙にして1万5千枚はあるだろうとおぼしきその重量である。2段組み700〜800頁で全3巻という、この小説にして量的大説の小田流饒舌文体も難儀だが、読みすすむうちに心安くなった。作品は、ヴェトナム戦争終結後のすなわちヴェトナム反戦運動終結後の日本社会の混沌的諸様相を提示していて、それは一種の地獄巡りなのだが、難儀やなあ、とつぶやきつつおもしろく読んでいる。そんなことがあって、わたしのきもちは、六甲山に登って港都を俯瞰してみたくなったのであろう。写真を何枚か撮り、山上を循環するバスに乗り、しかし、どこにも下車せず一周して下山した。軟弱な旅人である。

 下山して、コー・プランに寄るがだれもいない。いや、だれもいないわけではなく、お目当ての小林郁雄さんと天川佳美さんは東京へ出張中。スタッフと話す。のち、阪急六甲駅で畏友森末哲朗に会い、かれのお母さん宅へ。久子さん(おくさん)の手料理をかこんで一献。かき鍋とこの家の人情にあたたまる。その哲ちゃん(森末さん)が、3月いっぱいで、24年つづけてきた学童保育所の指導員を引退する。かれも創立メンバーのひとりである『六甲学童保育所どんぐりクラブ』はもちろん存続するが、哲ちゃんは、「これからは指導員ではなく、畑のおっちゃんとして、子どもたちとのつきあいをつづける」という。わたしは、哲ちゃんとは、映画『ベンポスタ・子ども共和国』をつくったころ(1990年)からの同志であり、かれの子ども観に共感して、震災後のどんぐりクラブのTVドキュメンタリー『群の中で子どもは育つ』(NHK教育チャンネル「教育トゥデイ」で98年9月に放送)を撮ったこともある。だから、かれの指導員引退は、わたしにとっても感ひとしおである。それだけではなく、ここの群から巣立っていったヤンガー・ジェネレーションとも、わたしはつきあいがあり、かれらもまきこんで、哲ちゃんとまた新しい企みをせねばなるまい。


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