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コラム「Circuit 06」青池憲司

第6回 ヴェトナム戦争下の北ヴェトナムを見る
2006.3.1
▲昨年は2度ヴェトナムを訪問。統一会堂(旧大統領官邸)
Photo:青池憲司

 『VIETNAMベトナム 発掘された不滅の記録1954−1975そこは、戦場だった』(朝日新聞社主催、ベトナム通信VNA協力)という写真展を、東京都写真美術館で見た。全146葉の写真が展示され、そのうちの84葉がヴェトナム人カメラマン(北ヴェトナム軍従軍写真班)、60葉が日本とアジアのカメラマン(新聞社、通信社、フリーランスの報道写真家)の撮影したものである。わたしは、日本人カメラマンが写したものの大半は発表時に見ているが、ヴェトナム人カメラマンの写真はそのほとんどが初見であった。後者の写真で幾葉かは、昨年ホーチミン・シティの戦争証跡博物館と統一会堂(旧大統領官邸)で見ている。ほんの数葉である。ヴェトナム戦争は世界の多くのカメラマンに写真として記録されたが、それらの多くはヴェトナム人以外の報道者・カメラマンの眼によるものであった。ヴェトナム人が撮ったヴェトナム戦争(抗仏戦争と抗米戦争)の記録写真をはじめてまとめて見ることができた。

 抗仏戦争期の、撮影年代も撮影者もともに不明の、ホー・チ・ミン主席を撮った写真が2葉あって、キャプションに、1葉は「フランス軍と抗戦中の前線基地で、兵士たちとしばしの休息をとるホー・チ・ミン主席」とあり、もう1葉には「ホー・チ・ミン主席の話に聞き入る若い兵士たち」とある。前者は、北ヴェトナム・ライチャウ省(ディエンビエンフーのある省)のジャングルのなかで、ヴェトナム人民軍の兵士6人と主席が思いおもいの姿勢で休んでいる情景である。横になって眠っている兵士、横になっても眠れないでもの思いにふける兵士、その4人が手前にいて、中程下手に坐って読書(文書か雑誌か)をする兵士、おなじく上手に木の根方に腰かけて何か(ノートか手紙か)をかきつけている兵士、画面中央後景にホー・チ・ミン主席がいる。主席は、小さなベンチに横になり、右手を胸にあて左拳を握りしめ、立てた左足の膝の上に右足首をのせたかたちで足を組んでリラックスしている。しかし、その眼は中天に注がれていて、つよい思索のなかにあることをうかがわせる。この7人の姿態と表情はそれぞれに個性的で、フレーム(画面)内に独自の人間くささで存在している。写真の中心は主席ではなく、ひとりの兵士でもなく、画面のなかの一人ひとり、つまりはこの7人である。抗仏戦争の最前線では、ホー・チ・ミン主席も一兵士であるという集団性があらわれた1葉である。

 つぎの1葉、「ホー・チ・ミン主席の話に聞き入る若い兵士たち」は、場所の説明は「北ベトナム」とあるだけだが、田舎の民家の庭で、上がり框に腰をおろした主席が若い兵士たちに語りかけている写真である。主席は、軍上衣を肩から羽織り左手に書物を持って話をしている。それを地べたや石段に坐りこんだ60人ほどの兵士が、あるいは聴き入り、あるいはノートを取っている。主席はなにを話しているのだろう。革命をなさんとする者の心得だろうか、あるいは、青年の生きかただろうか。主席は人生の師でもあり、兵士は学びの弟子でもあるようにも見える。いずれにしても、この光景はまるで古きよき時代の私塾のような雰囲気ではないか。ホーおじさんの革命手習い塾、そんな趣が感じられる。そして、この1葉からつたわってくるものは誠実な熱情である。当時、革命の基礎はこのようにつくられていったのか。

 1954年5月7日にフランス軍のディエンビエンフー要塞が陥落し、同年7月21日、仏軍の撤退と2年後の南北ヴェトナムの統一選挙を定めた「ジュネーブ協定」が締結され、抗仏戦争は終った。しかし、南のゴ・ディン・ジェム政権は、56年5月に統一選挙を拒否する。ヴェトナムは南北に分断され、そのご、60年代に入り、アメリカが南での軍事力増強と北への介入を本格化するにしたがい抗米戦争が激化し、北ヴェトナムは戦時色一色になっていく。そんな時期の庶民の生活を撮った写真がある。米軍の北爆がはじまると、ハノイの子どもたちは戦禍を避けて地方へ疎開し青空移動教室で学んだ。校庭だろうか村の公園だろうか、粗末な小机のうしろの地面にしゃがんだ数十人の児童が、立って教える先生を仰ぎ見ている。ひとりの子の机には教科書といっしょに赤十字マークを印した小さな救急箱がおかれている。

 北ヴェトナムでは、緊迫した情勢に対応するために女性民兵隊が組織された。鉄炮を背負いパトロールする女性民兵リーダーや、鉄炮を肩に談笑する隊員、射撃訓練をするハノイ機械整備工場の女性警備員、港町ハイフォンの海上を警備する女性自警団、機関銃で海岸線を守る女性民兵など、いずれも若い女性たちの写真がある。彼女たちの表情のなんと晴朗であることか。それは、若い彼女らが抗米戦争を真に「わたしの戦争」と感じていたからであろうか。一方、食料不足に悩む庶民の暮しをうかがわせる写真もある。ヴェトナム人の食生活に欠かせないヌックマム(魚醤)の配給風景である。漏斗をつかってヌックマムを瓶に汲み入れる配給係の女性(まだ少女のような面立ち)の顔は真剣このうえない。それを見守る村人男女(子どももいる)の表情も緊張している。キャプションに、「住民は貧困に苦しんでいたため、少しの不公平でもトラブルの元になった。この写真は、プロガンダ目的に適さないという理由で戦争中には発表されなかった」とある。撮影時期は68年、場所はハーナム省タンリィエムである。

 ところで、前段で紹介した写真の撮影者はいずれもマイ・ナム(Mai Nam)という写真家で、展示されていた13葉すべてが戦時下の庶民の暮し、それも子どもと女性、若者に焦点をあてたものであった。マイ・ナムさんは現在73歳、新聞「ティエン・フォン」の写真特派員として活躍し、写真集『Once A Glorious Time』(英語タイトル。ヴェトナム語タイトルはフォントがないので表記できない)がある。2001年発行のその写真集は、1960年〜75年の抗米戦争期の写真89葉を収載し、多大な犠牲を払いながらも、勝利に向かって前進する人びとの姿が生きいきと写しだされているという。こんどヴェトナムへ行ったら買ってこよう。


  • 『VIETNAMベトナム 発掘された不滅の記録1954−1975そこは、戦場だった』■主催:朝日新聞社■共催:東京都写真美術館
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