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コラム「Circuit 06」青池憲司

第29回 アミネさん一家の12月8日(続・非正規滞在ということ)
2006.12.15
▲アミネさん(左)とマリアムさん
入管前で

 12月8日、東京は鉛色の雲がたれこめるつめたい朝をむかえていた。ベランダから寒空を見上げているうちに、やはり行ってみようときもちがきまった。あわただしく午前中の予定を変更して、品川の東京入国管理局へむかう。群馬県高崎市に住むイラン人、アミネ・カリルさん一家の、国外退去を猶予されていた仮放免の日限がきょうである。家族4人のうちアミネさん、おくさんのファロキ・アクラムさん、長女のマリアムさん(高3)の3人が出頭する朝である。次女のシャザデさん(小4)は学校。

 アミネさんの家族3人が入管へ出頭する時間は午前11時。わたしは、ぎりぎりのタイミングで駆けつけ、入管前でバスを降りる。そこにはすでにAPFSの山口智之代表をはじめスタッフ、弁護団のみなさんが待機していた。報道陣のカメラとマイクが歩道にひしめいている。非正規滞在者関連の映像記録を精力的に撮りつづけている西中誠一郎さんのカメラもある。その傍らで待つ間もなく、アミネさん一家がタクシーでやってきた。出頭するまえに路上でかんたんな記者会見をする。国外退去命令がでるのは避けられないだろうという予測があるだけに、そうなれば、アミネさんは即収容の悪しき可能性もある。「さいごまで希望を捨てずに出頭します」とコメントして、アミネさんは、家族や関係者といっしょに緊張を湛えた表情で局舎内へ向かった。

 そして、およそ2時間後の午後1時すぎに局舎外へでてきた家族と関係者の表情はそれぞれにこわばっていた。アミネさんの「希望」はかなわなかったのである。収容こそまぬがれたものの、家族4人の在留特別許可は認められなかった。待ちかまえていた報道陣の質問にアミネさんが答えた。「1月12日に帰国の準備をして(パスポートと航空券を持って)出頭するように、といわれたが、もっとやさしい結果をほしかった。これまでも、そしていまも日本で教育を受けている子どもたちがいるのに、信じられない結論だ。こんなかたちではなく、もっとほかの方法が考えられないか、もういちど再審情願をだして訴えたい。わたしたちはイランにかえることはできない。娘(マリアム)の夢をかなえるためにもみんなで日本に住みつづけたいという、家族との約束をわたしは果たしたい」。

 マリアムさんも積極的にインタヴューに応じた。「小さいころから日本で育ったわたしの夢は日本で保育士になることです。友だちもみんな日本人です。わたしの国は日本です」。ことばを選びながらゆっくりと話すその態度からは、逆境のなかでなお自分を失わない志のつよさがうかがわれた。彼女はすでに短大保育科への進学がきまっている。就学まえに来日し、小学校から高校まで日本で教育を受けたマリアムさんが、さらに日本で学ぶことを望むならば、その権利を剥奪してはならない。学習権は入管法に優先されねばならない、とわたしは考える。

 アミネさん一家の行動にずっと付き添っていた友人のナディさんが訴える、「マリアムはこれから(日本で保育士になって)社会のために役に立つ人間になろうとしている。なのに、なぜ、いまかえさないといけないのか」。そのとおりである。この列島のなかで、はっきりと自分の将来像をえがき、真摯に列島社会の一員たろうとして、その実現に向かって勉学・労働している在日アジア人の若者は大勢いる。ナディさんもそのひとりである。彼女はイラン人で、2年前に在留特別許可を取って、いま東京の大学へ通っている。ナディさんはこうつけくわえた、「わたしに在特がでて、マリアムになぜでないのか。理由が分からない」。

 12月8日、この日、アミネ・カリルさんが入管からいいわたされたのは、2007年1月12日午前11時に、イランへ帰国するための航空券とパスポートを用意して家族全員出頭するように、ということであった。それまでのほぼ1か月は一家にとって日本でさいごの冬になるのか。

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