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コラム「Circuit 06」青池憲司

第12回 5月3日を歩く
2006.5.8
家族づれの声があふれる上野の山
▲家族づれの声があふれる上野の山

 午前11時、上野。東京メトロ日比谷線の改札口から通路を経て地下道をのぼり地上へ向う。この地下道にはしばらくまえまで二つの戦争(アジア太平洋戦争と朝鮮戦争)の戦後の雰囲気がのこっていたのだが、いまはそんなものは形も臭いもさらさらない。なくてはいけないわけではないが、戦後的なるものの形や臭いがなくなってしまったことに、なにがなし、わたしの躰の一部が違和感をもっている。地下道はゆるやかな上り勾配で、アジア太平洋戦争で家や祖父母親兄弟姉妹を失った浮浪少年たちがここを宿りとした。かれらは、わたしよりほんのすこしだけ上の年代だ。

 地上にでると、まず眼に入ったのが機動隊の車輌と機動隊員と公安刑事の姿だった。かなりものものしい大掛かりな警備態勢である。上野駅前の明るい大通りでは右翼団体の街宣車が車輌を連ねて「憲法改正賛成」大行進中であった。街宣車からお定まりの軍歌はきこえずラウディなアジテーションもなく、しずかに車列が進む。規制する警察のマイクのほうが凶声である。わたしが見聞した場所としばしの時間内ではそんな状態だった。きょうは施行59回目の憲法記念日。歩道には行楽に繰りだしたこどもづれ家族があふれている。わたしは、映画館街を通ってお山へ向う。JR上野駅公園口で社民党が街頭演説会をやっていた。街宣車の上に赤いスーツが似合う福島みずほさん、長身端麗な保坂展人さんらが立ち、保坂さんがマイクを握っている。立ち止まりかけたら、朝からの連続演説会を終ります、という閉会の辞だった。残念。

 西洋美術館の前あたりで人の流れが渋滞している。前方に人群れがあって、そのまわりを警官が囲んでいる。人群れから「憲法改正賛成、極左暴力反対」というシュプレヒコールがきこえる。右翼の諸君のアジテーションだがあまり意気はあがっていない。慣れていないのだろう。「こんな日にこんな所でやらなくてもいいのにね」、これは行楽の若い母親のつぶやきである。こんな日(憲法記念日)でこんな所(人での多い場所)だから、演説会や示威行動をするのだ。この選択にかぎり右も左もともに正しい。明治時代初期の民権運動家は、ここ上野の山で政府への異議申立ての演説をした。かれらは、国権を糾弾し、権力を揶揄した演歌を辻々で歌い喝采を博した。明治の一時期、民衆の批判精神が奔出した時代のことである。

 (渋滞中のもの思い)。5月3日をまえにして、おそろしいニュースがとびこんできた。ワシントンで開かれ、両国の関係閣僚が出席した日米安全保障協議委員会で、「在日米軍再編に最終合意」とのニュースである。この再編案が実施されれば、日本はアメリカの世界戦略によりいっそう確実に組み込まれてしまうことは、この国のだれが考えても明らかである。ましてや、反アメリカ的な世界から見ればこれは完全な日米合一としか映らない、ことも火を見るより明らかである。「再編案の実施により、同盟関係における協力は新たな関係に入る」と共同声明はうたうが、わたしたちにとっては寝耳に水であり、こんな重要課題を小泉首相は例によってトップダウンで決めてしまった。国民への説明も国会での議論もなく(やるなら自分が降りてからにしてくれ)、合意など形を決めてしまえばおのずとそれにしたがってなかみはつくられる、といわんばかりである。――教育基本法、共謀罪、国民投票法案などの先に見えているのが改憲であることは、これまたこの国のだれが見ても明らか。これら一連の国家権力の発動に、わたしたちは、明確に否! の意志を示さねばなるまい。

 そんなことをとつおいつしながら東京都美術館へ行き、『プラド美術館展』を見る。ゴヤが7点きている。それらを見ているうちに今回は展示されていないが、ゴヤの「1808年5月2日」(El 2 de Mayo de 1808 en Madrid)と「1808年5月3日」(El 3 de Mayo de 1808 en Madrid)を無性に見たくなった。「1808年5月2日」は、ポルトガル攻略という口実でスペインを占領していたフランス軍に対して蜂起したマドリッドの民衆を描いている。そこでゴヤが見たのはまず、目をむいてナイフを振るう馬上の兵士であり、騎馬に踏みつけられる民衆であり、ナポレオン軍の残虐行為であり、果てしのない戦争の惨禍である。 

 「1808年5月3日」は、前日の武装蜂起の参加者たちがナポレオン軍兵士に処刑されるシーンである。地面に置かれた行燈の光に浮かび上がるのは、銃を構える兵士たちと銃殺される民衆である。何も見たくないとばかりに顔を覆う男、茫然として瞳孔開きっ放しの態の男、恐怖におののき拳をにぎりしめる僧侶、足許にはすでに処刑された男が横たわり血の海がある。死の恐怖と絶望が覆うなかに白いシャツの男が、両手を大きく広く高く掲げ、処刑隊の銃弾をいままさに受けんとしている。死にゆく男の顔に、しかし、ヒロイズムはない。きのうまでは鍛冶屋の職人であったかもしれないその男は、いまは恐怖を克服しつつ自由を希求する若きレジスタンスである。圧政に立ち向う民衆の姿態表情が豊かに表現されているのと反対に、殺す側の兵士は、だれひとりの顔も見えず銃剣をもった身体は硬直している。殺人兵器と化した兵士に個々の表情はない。殺すもの(権力)と殺されるもの(民衆)の一瞬と永遠をゴヤはとらえている。

 そんなことを反芻しながら東京都美術館を出て歩いていくと、教育運動家のJ氏にバッタリ会った、陽はすでに路上に長く影をのばしている。そろそろいいですね、と目配せを交わし、路上の屋台で缶ビールを買い、ふたり、歩きながら飲んだ。わたしは、きょうでくわした光景やそれに刺激されて浮かんできた想念を話したうえで、J氏に問うた。「わたしたちは、いま、何をなすべきでしょうか」。J氏は即座に「そりゃ、もうデモしかないね」と答えた。明快である。


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