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コラム-わが忘れなば

第9回 たかとり10年感謝祭
2005.6.2

ペーパードームたかとり
ペーパードームたかとり(=今年1月)
 阪神大震災直後、カトリック鷹取教会の敷地内に鷹取救援基地として発足し、そのごも、多文化なコミュニティづくりの磁場として活動をつづけてきた「たかとりコミュニティセンター」(TCC=神戸市長田区海運町)は、震災後からずっと仮設の建物を仕事場としてきた。そのTCCがこの6月、カトリックたかとり教会の再建作業のために、敷地内の施設すべてを取り壊し、構成団体のFMわぃわぃ、アジア女性自立プロジェクト、多言語センターFACIL、ワールドキッズコミュニティ、ツール・ド・コミュニケーション、リーフグリーン、NGOベトナムin KOBE、ひょうごんテックは、工事期間中の約1年間をおなじ長田区の別の場所で活動することになった。それを機に「たかとり10年感謝祭」が5月28日〜29日に開かれた。「基地」の立ち上がりのその時その場にいたわたしとしては、ひとしおのおもいがある。

 TCC代表であり、趣味でたかとり教会の司祭もしていると自称する神田裕神父は、震災直後から、「まちの復興なくして教会の再建なし」といいつづけてきたが、10年が過ぎて教会建物の再建にふみきった。「感謝祭」は、地域の集会所として、さまざまなコミュニティ・イベントの会場として、また、わたしたちの映画、記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部の地元お披露目上映の場として、そしてもちろん、教会の聖堂として使用されてきた「ペーパードームたかとり」をメイン会場にして、敷地内の全域にエスニックな食と酒(タイ、ヴェトナム、インドネシア、フィリピン、韓国、中国、ペルー、ブラジル、日本)の屋台が出た。地元の野田北部・鷹取、長田の人たち(いうまでもなく含在日外国籍人)、救援基地時代のボランティアからTCCに改編されてのちのボランティアまで、震災後にここへやってきて協働した面々、それらの人たちが一堂に会しての多文化な2日間であった。

 そこでは、さまざまな「ことば」がとびかった。印象にのこった一つは、「たかとりという場は、地域の住民さんだけでなく、教会の信者だけでなく、いまここにいる人だけでなく、震災後この地にかかわったすべての人たちのものだ」と記念フォーラムで発言した神田さんのことば。その二つは、日本人も在日の韓国人もヴェトナム人もブラジル人も、国籍にかかわりなく、KOBEで被災した人たちが、「震災後1年のあのころはたのしかった。いまになればいい思い出だ」と語ったことだ。電気工事屋のTさん、在日ヴェトナム人のGさん、長女を亡くした散髪屋のSさん、みんなが、それぞれの悲しみと日々の苦労を負いながら「あのころはたのしかった」というのは、あのころもそのごも、つまりはこの10年を自らの胸内に灯をかかげ日常を充実させて暮してきた証にほかならないだろう。といって、だからといって、かれらは、いまとひきくらべて昔はよかったなどと愚痴るのではない。いつだって、いまを活動的に生きている。

 参会者をたのしませた出し物も多彩で、在日ヴェトナム人3世の若者によるラップ(日・ヴェトナム2語で)あり、南木曽のシンガーソングライターの歌あり、和太鼓演奏あり、ヴェトナム一弦琴の演奏(奏者は日本人女性)あり、復興隊のライブあり、であった。復興隊は、震災復興途上、地域と基地の協働のなかからうまれた地域バンドで、メンバーのひとりが若くして他界してしまったために活動を停止していたのだが、この日、特別編成で一日だけの復活をした。もっちゃん、よしぼん、このふたりがオリジナル・メンバー、+デーヤン、かんちゃん、たぐち、のむらあき。歌はもちろん復興隊のテーマソング『夢光る街』。さいごは、参会者一同がくわわって大合唱となった。♪夢光る街、神戸を……

 在日ヴェトナム人3世のナムくんとフンくんのラップにわたしは刺激をうけた。かれらの父祖たちがどのような恐怖と危険を乗り越えてボートピープルとして日本にやってきて、どのような差別と苦難の日々をおくって、いまの自分がいるか。そのことを日本語とすこしのヴェトナム語(あまり得意ではないようだ)でシャウトする。ふたりのラップの粗削りなことばにしびれた。かれらの荒削りな情念の発露に脇腹のあたりをナイフで撫でられた気分になった。まだ抉られてはいない。が、抉ってくるだろうという予感はある。在日ヴェトナム人10代の自分たちの日本はどこにあるのか、とかれらはラップする。在日日本人60代の自分の日本はどこにあるのか、とわたしは考える。多文化な若者たちがこの国の社会を変えていく予兆はある。そんなヤンガージェネレーションといっしょに歩いていくこと。走らず立ち止まらず弛まず倦まず。

 先にかいた、地域住民の震災復興の拠点であり、被災者やボランティアの出会いの場ともなった、「ペーパードームたかとり」はその保存が望まれていたが、縁あって、1999年に起きた「台湾921大地震」の被災中心地である埔里(プーリ)に移築再建されることになった。その地で、地震を契機とした住民交流の拠点として再生する。インターコミュニティの成果である。


<関係リンク>
  • たかとりコミュニティセンター
  • 鷹取救援基地
  • ツール・ド・コミュニケーション
  • FMわぃわぃ
  • アジア女性自立プロジェクト
  • ワールドキッズコミュニティ
  • 多言語センターFACIL

  • <関係 新聞記事>
  • たかとり教会 再建控え感謝祭(神戸新聞神戸版 05/5/29)
  • 紙のドームでお別れミサ 神戸から台湾の被災地へ(産經新聞大阪本社 05/5/29)
  • 紙の集会所「ペーパードーム」最後のミサ(朝日新聞大阪本社兵庫版 05/5/29)
  • 最後のミサ、「紙」に感謝 ペーパードーム、台湾の地震被災地へ(毎日新聞大阪本社 05/5/29)
  • ペーパードーム、台湾の被災地へ 神戸・長田たかとり教会(神戸新聞 05/4/17)
  • もろびとこぞりて 鷹取ボランティア物語(神戸新聞 05/4/17〜28)

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