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コラム-わが忘れなば

第8回 巷に呼ばわる者の声す
2005.5.12

皆中稲荷神社=新宿区百人町
皆中稲荷神社=新宿区百人町
 新大久保駅近く、大久保通りに面した皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ=新宿区百人町1−1−16)は、天文2年(1533)に創建されて以来この地の鎮守となっている。徳川時代初期の寛永年間(1624〜43)に江戸城を警護する鉄砲組百人隊がこの地域に住まうようになり、それにちなんで百人町の名がついた。当時、鉄砲組与力が射撃の調練に思い悩んでいたところ、稲荷之大神が夢枕に立った。稲荷神社にお参りをして射撃を試みたところ百発百中で、人びとは「皆中(みなあたる)の稲荷」と称えた。爾後、鉄砲組の信仰をえて、「百人隊出陣の儀」が奉納され、皆中稲荷神社と呼ばれるようになった、と皆中稲荷神社栞はつたえている。その後、射撃だけではなく、「当たる」ものに御利益があると評判になり、勝運・開運招福・宝くじ当選祈願など、「ギャンブルの神様」として親しまれている、とこれは全国開運神社仏閣ガイドにある。例大祭が隔年で行われ、往時をいまにのこす鉄砲組百人隊の行列と火縄銃の試し射ちが地元住民によって演じられる。ことしはその実施年で「百人隊出陣の儀」が9月25日に予定されている。

 わたしが大久保、百人町を徘徊するようになって5年になるが、そのときかならず、大久保通りですれちがったりいっしょになったりする男がいた。齢のころなら50代半ば。四季を通じて身体は汚れ弊衣である。かれはつねに歩いていて、それもかなり早足であり、立ち止まっているところを見たことがない。いつもなにごとかをおらんで(叫んで)いて、そのなにかは不分明なままのおらび声が大久保通りにひびきわたる。わたしは、そのことばをききとらんとして男に尾いていくが、口調は激烈しかも歩調とおなじく早口なので容易にはききとれない。なかみはわからないが、吼える声はなにやら説教のごとくにきこえてくる。そうだ、男の叫びは説教なのかもしれない。としたら、だれに向っての何の説教なのか。かれの言動に関心をもって見る通行人はほとんどいない。だれも一瞥を与えるだけで気にもしない。男の眼中にも行き交う人の姿はないようだ。かれの視線の先は遠い。雑踏のなかで男は孤独であるように見える。孤独であるがゆえにかれはおらぶのだろうか。荒野に呼ばわる者の声す、といった趣である。

皆中稲荷神社=新宿区百人町
皆中稲荷神社=新宿区百人町

 この日、わたしは、日本ルーテル教会まえで男を見かけると追っかけをした。かれは、大久保通り1212メートルの巷(荒野)をなにごとか呼ばわりながら回遊するように東行し西行した。いま、男は、大久保通りを西へ向い全龍寺を過ぎ、山手線と埼京線のガードをくぐり新大久保駅の人込みをぬけると、ストリートを捨て、なんと皆中稲荷神社へ入っていくではないか。わたしも尾いていった。かれは本殿のまえに腰をおろして目をつむった。無言である。通りからほんのすこし入っただけで男のまわりの騒音が薄らぐ。わたしはかれの無言に踏み込まないようにすぎようとした。そのとき、男が呟いた。おらび声ではなく囁き声にちかい。「にんげんにかけるな」、ときこえた。ぎょっとして、わたしはかれを見たが、男の目は閉じられたままである。わたしは、立ち止まり思いきって声をだした。なにかいわれましたか? なんとも間抜けで腰が引けた声掛けだったが、かれの返事はない。わたしは、瞬時そこに立っていたが、ややあって、ふたたび沈黙して神社の置石と化したような男のまえから立ち去った。

 その後しばらくして、男の姿を見なくなった。「人間に賭けるな」ということばがのこった。"大久保の探偵"ヤクモにかれのことをきいてみた。ヤクモは、そういえばここんとこ見ないねえ、と男の消息を知らないようだった。ヤクモによれば、男は、早稲田辺りの商店の3代目で、まじめに家業を継いでいたのがあるとき魔がさして競輪に狂い、すってんてんになるまで身代を食いつぶしてしまった、いまの姿はそのなれの果てだという。
「ギャンブルの神様とギャンブルで人生を棒に振った男の組み合わせなど、そんな出来すぎた話と出来のわるいシナリオはごめんだね」とわたし。
「出来のわるいシナリオはそっちの問題として、出来すぎた話ほど真実にちかいのさ」
「気に入らないね」。じゃ、こういうのはどうだい、とヤクモがつづける。
「早稲田某町の老舗の跡取りと頼みにされていた若い衆が、なにをどうしたかボクサーになった。それはいい。ところが、なにがどうなったかやつは八百長試合に巻き込まれてしまった。発覚して選手生命を失い、その後は自堕落街道まっしぐら、あらゆるギャンブル狂いの地獄めぐりの日々とはなった。――これは自転車屋のイサク爺さんの説だ」
「どっちもイタダケナイね。いまどき、都風六平だって、そんな話はつかわないよ」
都風六平とは、共住懇が02年にプロデュースした、おおくぼ芝居『レツ』の作者である。

 ヤクモとそんな話をして数日後にかれから電話があった。「あの男は死んだよ」「なにがあったんだ、事故か」「男の身内の者が、やつを病院に」といって、ちょっとことばが途切れた。何科の病院かがそれでわかった。「・・・・病院に連れていこうとして、それに抵抗して逃げだしたあいつはトラックにはねられて死んだ。事故なんだろうね」。ヤクモはいつものように饒舌にはならずに電話を切った。「にんげんにかけるな」。わたしにしても身につまされることばではある。 

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